こんにちは、検索迷子です。
今日、震災の影響によって延期された、
とある試験を受けてきた。
会場で試験が始まる前、教室を見渡したところ、
随分と欠席者が多いことに気づいた。
社会人が自発的に受ける試験を何度か受けてきて、
どんな試験でも3割から4割くらい欠席するものだという体感値はあるが、
それをはるかに上回る欠席状況だった。
ざっと人数を目測しても半数以下のように見えた。
そんな自分も、今朝、直前まで試験に行こうか迷っていた。
当初の時期に受検してもそうだったかもしれない。
なぜかと考えたら、震災によって物事の価値観や、
優先度合いや重み付けに変化があったからかもしれない。
そして、自分が生きている時間のなかで、
本当にこれは必要なものなのかと改めて問いかけたとき、
全くそうは思えなくなっていた。
資格のための受検でしかないと気づいたり、
もしこの先長く生きられないのだとしたら、
どうしてもこの勉強に時間をかけたいほどのことでもないと思ったりした。
申し込み当初の思いとか、資格取得にかける熱意が完全にそがれていた。
それでも、直前には全く勉強していなかったが、
過去に集中的に勉強したこともあり、
今いるかいらないかわからない資格であったとしても、
学んだことをアウトプットして、
一定の結果の確認はしておきたいと思って試験地に出かけた。
でも、移動の最中や、休憩時間にテキストとにらめっこするような、
そういうがつがつとした思いはまるで消えていた。
ただ、なんとなく試験を受けに行っただけだった。
結果がどうでようと、自分にとって、
震災があったことで、生きる基盤や考え方に変化が訪れたことは明らかだった。
落ちる言い訳を考えておくという意味ではなく、
この資格の受検は結果がどうであれ、今回限りかもしれないと思った。
自分にとっては、生涯これでやっていきたいということではなかった、
そういうことを知るきっかけだった。
経済学でいうサンクコスト、埋没費用の回収のため、
過去に投資したセミナーやテキスト、勉強時間など、
今、止めてしまうと惜しいとばかりに続けてきた勉強だったのだ。
潔く、自分が集中して取り掛かることをもっと絞り込むために、
自分の今にとって価値のないものに時間を割くことのほうが惜しい、
そうつくづく思った。
勉強に費やした時間に見合う結果が出なかったとしても、
そのごく一部でも自分の血肉になっている。
現に、数年前まではわからなかった用語や概念が、
全く勉強をしないで出向いたにも関わらず、
蘇ってきたり、自分のなかで定着してきたと発見できたりした。
焦るような思いもいっさいなく、
たんたんと試験の時間割をこなし、
たんたんと時間内にそれなりに冷静に対処できたと思う。
これに気づいただけでも、日曜の時間を使って試験に行った意味があった。
勉強を始めた当初は、丸暗記で、
要領も悪くて、何もうまくできなかったことを考えると、
試験のコツも本質を考える力も、
過去の引き出しを探し当てることも、
何かずいぶんと落ち着いてできるようになったと思った。
あのとき価値があったもの、
あのときのどから手が出るほど欲しかった資格が、
今の自分にとって不要なものとなってしまったのは残念だが、
その分、自分は次の目標に向けて走りだせているのかもとも思う。
資格だけが自分の道を決めてくれるものではないのに、
あのころは、資格さえあれば何とかなるような錯覚をしていたのだろう。
そんなことにも気づいた。
あのころ価値があったものの、そのもの自体の社会的価値は変化していない。
それなりに業務上では意味のある資格なのだ。
たぶん、他の人が持っていれば、あ、凄いと賞賛するようなものだ。
でも、今の自分にとっての価値が下がったならば、
今の自分は、自分が求める自分の価値を高めるようなものに、
またこれから進んでいくしかない。
それは、資格という目に見えたり、人に誇示できるようなものでなくても、
自分が価値があると思えるものならば、それでいいのかもしれない。
昔、価値があると思い込んだものに、
今の自分が縛られていくのは、もうそろそろ終わりにしようと思う。
あのころの価値はあのころのもの。
今、自分にとって価値あるものに向けて、きちんと歩いていこうと思う。
それが、他人から評価されるかされないかより、
自分にとって、時間を費やすほど興味が持てるかとか、
それで生涯やっていきたいかと本当に心から思えるようなものに、
自分のエネルギーを注いでいきたいと思う。
震災はこうやって、
震災前と震災後の物事の価値基準を変えてしまう力を持つ。
私は、何か中途半端に捨てきれなかったものを、
再考するきっかけとなった気がしている。
今、何に価値を見出すか。
そこに自分はどう関わっていくか。
シンプルに考えて、集中していきたいと思う。
自分にとって価値のあるものに、ぎゅっと取り組もうと思う。
では、また。