見てるようで見えてない

こんにちは、検索迷子です。


毎日一緒にいる存在のことは、
結構何でもわかっているような気持ちになる。
今、何をしたいのかとか、どんなコンディションなのかとか、
表情を見ているだけでわかるような気がする。


でも、ふとしたときに、
自分が想像していた状態とは違い、
あれ、なんでこんな大事なことを見落としていたんだろうと、
時間が経過してから気づくときがある。


え、毎日見てたのに、何も見えてなかったのと愕然とする。
時間をともに過ごしていたはずが、
接してきたはずが、自分って何を見ていたのだろう、
どんなコミュニケーションをとっていたのだろうと、
過ぎた時間たちに何をやっていたのだろうと失望する。


今気づいたとしても、遅くはないことであったとしても、
もっと早く気づいて行動することができたかも、
そういう悔いを伴うこともある。


それが体調にかかわることであったり、
心のケアにかかわることであればなおのこと、
もっと早く気づきたかったと思う。


相手は恨み言など言わないけれど、
気がつけなかった自分が悔やまれてならないこともある。


毎日一緒にいるようで、
視線の先や、心の向け方がそっちを向いていないこともある、
それに気づいたとき、
自分が見たいようにしか相手を見ていないのだと知る。
今はこんな気分なんだろうなと、自分の主観だけで見ていたのだろうと思う。


毎日一緒にいるからこそ、きちんとリアルタイムで気づきたいことがある。
それを見落とさないよう、
見ているようで見ていないことを増やさないよう、
しっかりと見守ったり、コミュニケーションをとろうと思う。


時々会う存在よりも、
身近な存在ほど、何かわかった度合いが大きいのかもしれない。
わかっていると思う存在ほど、わかっていないこともある。
見ているようで見えていないこともある。
そうやって、ときどき、
本当の意味で相手を見つめる瞬間を持とうと思った。


では、また。