こんにちは、検索迷子です。
ほぼ毎日外出するような仕事をしていると、
直行したり、直帰したり、日中何度も外出したりと、
その日その日の過ごし方が全く異なる。
複数のプロジェクトを並行しているため、
仕事仲間も協力会社も、取引先も全てが違う。
どこで仕事をするかも、どこでランチをとるかも、
毎日、その時間帯にならないとわからないことも多い。
こういう経験は今までなかった。
これまでは、朝から夜まで自分の席にいて、
たんたんと作業をこなすことが多く、
席を立つのも社内会議が大半だった。
社内会議がなければ、ずっと一日席にいた。
辞めさえしなければ、
半年後も一年後も同じ行動をしていたのだろうと、
想像がつくような毎日だった。
でも今は、来週どこで誰と会うかが直前まで予想ができない。
定期的に訪問するところはあるものの、
声をかけられたり、アポをとったりしながら次の行動を決めるため、
なかなか予測がつかないばかりだ。
当初は、誰かと同行していたが、最近は一人で出向くこともある。
出かける直前に今からいくよと言われるよりは、
ほんの少しだけ自分でコントロールは可能になったが、
それでも、アポ時間は自分の都合より相手の都合が優先のため、
連絡をとってみるまでは予定がなかなか立たない。
事前にある程度、心の準備とか下調べをしなければ、
気持ちが落ち着かないタイプだと自分のことを思っていたが、
いきなり出かけて、いきなり商談をするといったことを繰り返すに従い、
きっちりとした準備をしていなくても、
それなりに人と会話ができるのだともわかってきた。
とっさの行動が慣れないからいやだとは言えず、
慣れていくしかないと開き直って行動してきたら、
三ヶ月経ってやっと、そういう仕事なのだとわかってきた。
どんなに通信機器が発達しても、
直接出向いて商談や打ち合わせをすることが、
まだまだ主流の仕事ってあるのだなと思ったり。
毎日違う行動パターンのほうが楽しいという人もいるだろう。
同じメンバーとだけ顔を合わせたり、
一日席に座っているというのが苦痛という人もいるだろう。
自分はその逆で、ずっとたんたんとした毎日のほうが、
むしろ居心地は良かった。そして、それはずっと続くと思っていた。
今、自分の席で仕事をする時間がほとんど減って、
同じ課の同僚とも週に数時間しか会わない。
そういうことも、普通にアリなんだとわかってきた。
毎日、時計のように同じ生活リズムを刻むのは、
それなりに安らぎもあり快適だけど、
今はそれを望んでも出来ない状況ならば、
毎日違う一日を送れることをむしろ喜ぼうと思う。
いつも同じことばかり繰り返していると、
同じ人とばかり過ごしていると、
なんだかじわじわと不満がたまったり、
嫌な部分が出てきたりする。
だけど、社内にいる時間が減ってくると、
不思議と同僚や上司と仲良く過ごせるようになった気がする。
たまにしか会わないのだから、
お互い得た知識を建設的に交換しようと思える。
自分が同じ毎日を過ごさなくなったことで、
そんな不思議な効果も生まれた。
今、この時間を一緒に過ごしている人たちと、
それぞれにつつがなく、仲良くしていこうと思える。
それは同僚も同じなのかもしれない。
毎日違う時間を過ごしながら、お互いクロスした時間を大切にしているのが、
なぜか伝わってくるようだ。
毎日はもともとは違う日の連続なのかもしれない。
それを単調な同じような日にしてしまったのは、
自分のいらぬ安定志向だったのだろう。
少し先の自分の行動パターンや予定が見えなかったとしても、
それは自分でコントロールして埋めていけばいいのだ。
時計のように動かなくたって、失うものは何もない。
同じ時間の電車に乗り、タイムカードの打刻時刻も寸分狂わず、
といった行動は、何か、自分の創造力をそぐような行為だったのかもしれないと、
今は少し思っている。
毎日をどう過ごすか。
毎日を同じような日ではなく、むしろ一日一日が輝きを増すような、
違った一日にできるにはどう行動するか。
そういうことが、人の好奇心や成長意欲を支えているのかもしれない。
自分はパターン化された行動を、
臨機応変に自由に変えていったほうがいいよと、
何か見えない力に引きずられるかのように、
いつもの違う毎日が積みあがっている。
ずっと毎日が違う一日状態なのか、
また再び、同じような日々の連続になるのかは今はわからない。
少なくとも、同じような一日に甘んじないよう、
あえて、場の空気を変えるように行動し続けようと思う。
明日はどんな日になるだろう。
来週は何をしているだろう。
スケジュール表が埋まるたびに、
予測したくてもできんないことだと知り、
あまり深く考えるのはやめて、行動しようと思っている。
では、また。