こんにちは、検索迷子です。
過去に集中して勉強してきたことを、
数年後、必要に迫られて学び直すときがある。
一時期、毎日使っていたテキストを探し出し、
あらためて見返してみて愕然とする。
あのとき、あんなに大変な思いをして、
時間を割いて、まとめたり試験に臨んだりしてきたことを、
きれいさっぱり忘れていたりする。
記憶力の問題かと思いきや、たぶんそれは違う。
どちらかというと、覚えるときの覚え方に問題があったのだと思う。
それが苦手なジャンルであればあるほど、
ほぼ丸暗記に近い状態で、用語に慣れることだけを目標にして、
接触時間で勝負していたのだ。
それが、その用語に触れなくなると同時に忘れてしまい、
今の時点で、また一から学び直すことすら出てきている。
思えば、苦手なことほど、最初は書いて覚えている。
文字面で目に焼き付けるといった感じで、
本当に無理やり覚えていたりした。
逆に覚えることが苦にならないようなものは、
テキストを読むだけですんなりと入ってくる。
そして、そういうものは過去の記憶があまり薄れていない。
ときどき、こうやって苦手なジャンルを学び続けることに疑問を感じるが、
それでも、そんな時間をとることを選んできたのは自分なのだ。
逃げ出したいと思っても、自分が選んだ以上は進むしかない。
本質をとらえていない学習は、
どんなに時間を費やしても、
何も吸収できていないことが嫌と言うほどわかった。
暗記だけで何かを乗り切ってきた気分になっても、
それは未来の自分に対して、何もプレゼントを渡せない。
むしろ、忘れるような学習しかできなかったことが失敗体験になったり、
さらに学び直すロスさえ生まれている。
本質を学び直して、もう再びこのことに割く時間はとりたくないものだと、
今更ながら思う。
時間を使うなら新しいことを学びたいと思う。
学びに集中すべきときに、記憶に定着させられるよう、
もっと本質を考えながらテキストを読んだり、
何のために自分はこれを学ぶことを選んだのかと、
きちんと考えながらやっていきたいものだ。
新しく覚えることはそれはそれで大変だが、
過去にやったはずのことを、
一からやり直すときのモチベーションの立て直しより、
ずっと建設的に学ぶことができる。
本質を学ぶ意識を持ちながら、
学生とは違う学びの経験をしていかねばという気持ちを、
過去のテキストで勉強した形跡を見ながら痛感する。
学習することが本質ではなく、
仕事に役立てるために学ぶことならなおのこと、
自分の未来の道筋をつけてくれるような知識にしていければと思った。
では、また。