見慣れたはずが

こんにちは、検索迷子です。


ほぼ毎日、外出する仕事をするようになって、
かつて通いなれた駅を利用することがある。


そこはよく知っている場所だと思って、
いざ降り立ってみると、自分の記憶の場所と全く違っていて驚く。
確かに、ひんぱんに利用していたころからは随分と時間が経っている。


それでも自分の記憶のなかでは、
この駅は知ってるから迷うことはない、
大丈夫だと軽く踏んでいたりすると、
ことのほか駅構内や駅ビルで迷ったりする。


あれ、これはたしかこっちではとか、
この方向に駅の入口があるはずと思って進むと、
その場所が変わっていたりして、
記憶のそれとは全く違うものだったりする。


見慣れたはずのものこそ、過信してしまうものかもしれないと、
何度かぐるぐると回る経験をしてみて、痛感している。
むしろ全く知らない場所のほうが慎重に行動して失敗はなく、
時間も多めに見積もっている。
が、知っていると思い込んでいるところほど、
あまり何かを確かめず、ずんずんと歩いてしまい、
途中で、あれなんか違うと気づいたりして引き返す。


見慣れたものと自分の記憶にインプットしたものでも、
あらためてきちんと見直しながら、
初心に返って確認しなければと思ったりする。


わかったつもり、知っているつもりのものが、
そうではなかった。
そんな手痛い経験を通して、
何か一からきちんとやりなさいと、どこかから言われているような気になる。


見慣れたものであっても、
自分の今とリンクしていないものは、
新しいものなのだと、記憶の軸を一度捨ててしまうことが必要そうだ。


立ち止まって確認することの大切さや、
今それは自分にとっては知らないものなのだと受け入れていく気持ちが、
思いのほか大事なのだと気づかされる毎日だ。
過去の経験は過去のものに過ぎない。
今、また新しいものを受け止めて、新たに始めていこうと思う。


では、また。