一寸先は

こんにちは、検索迷子です。


いつからか、長期的な何かに取り組むことが怖いと思うようになった。
一ヶ月先、数ヶ月先だってわからないことが多い。
順調と思われていたことだって、それは主観に過ぎず、
ふたをあけてみたら違うことだってある。


今このときでさえ、どうなるかわからないなか、
ずっと先のことを考えるより、
今をどうやって乗り切っていくのか、
それが一番大事なことになっている。
一日一日が積み重なり半年、一年という先が見えればいいのかと思う。


でも、実際は、先を見据えた何かをしなければならないこともあり、
いかにそこに気持ちを持続させたり、
展望を描けるような前向きさを持っていたりということが問われることもある。


何も考えていない、考えられないという姿勢を見せるわけにはいかず、
そこで、どう気持ちを持っていくかが課題となる。


一寸先は闇とは思いたくないけど、
一寸先が見える安定感がある人と、
一寸先すら見えずに生きてきた人とは、
長期的視界がまるで違うのだとなんとなく思うことが多い。


先は見えすぎてもつまらないし、
見えなさすぎても、いけないのかもしれない。


どうやって、周囲と同じスパンを意識したり、
将来が描けるような同調や共感が得られるのかは、
日ごろからのコミュニケーションのとりかたなのだろうか。


一寸先、何を見出すのか、考えあぐねてしまう。


では、また。