生きててこそ働ける

こんにちは、検索迷子です。


取引先の人と話していて、かつての同僚が急逝したことを聞かされた。
同じ会社の同じ職種として働き、同じゴールを目指していた人だった。
私が転職をしたことにより疎遠となったが、
てっきり今も同じ仕事をしているとばかり思っていたら、
短期間のうちにあっというまに帰らぬ人となったらしい。


その人は、ノートPCを片時も離さず、
平日の早朝深夜、土日を問わず仕事をしていた。


ときどき仕事を持ち帰るどころか、常に仕事と一緒にいた。
単身者であったこともあるが、自分の時間というものを全て、
仕事に注いでいるかのごとく、仕事への集中力も意欲も責任感もすごいもので、
ここまでは自分はできないなと思っていた。


病気はふいにやってきたという。
でも、思えば一緒に仕事をしているときも、
風邪が悪化していたこともあった。


健康診断も受診していたのかも定かではない。
免疫力も衰えていたのかもしれない。
食事の時間も忘れて仕事をするのは日常茶飯事だったと思う。


伝え聞く限り、本当の原因はわからないが、
その人の命の終わり方はそれでよかったのだろうかと心が痛む。
仕事中心で全てが回っていたため、
仕事の多忙な渦中で命を落としたのは本望だったのか、
それとも無念だったのかもわからない。


いずれにしても、健康でなければ働く楽しみも持続できないのだと、
つくづく考えさせられてしまった。
この苦しみの先に楽しいことがあるに違いないと思いながら、
自分にムチを打つように仕事をすることだってある。
三者がかわいそうにということでもないかもしれないし、
実はつらかったのかもしれない。
どっちだったのかも聞くことはもうできない。


仲が良かったからという意味合いではなく、
同じ仕事を隣の席でしていたからこそ、
そこで倒れたのが自分だったのかもしれないと思うと、
少し怖くなった。


自分は同じような働き方はできないと思ったし、
違った目標に向けて軌道修正するために転職したが、
もし、リアルタイムに一緒に仕事をしていたら、
衝撃はとても大きかったかもしれない。


近親者がその人の働き方を身近で見ていたら、
間違いなく過労死申請をしたくなるような状態だっただろうが、
たぶん、そういう事態にはなっていないのだろう。


何事もなかったかのように、その人と一緒にやっていた仕事は、
この世に存在する。
残された人たちが、たんたんと仕事としてこなしている。
代替わりしても、誰かが継続している。
そう思うと、その人が生きていた証みたいなものや、
作り上げたものの意味もどんどん薄れていく。


その人は命と引き換えに、何を残せたのだろうか。
好きな仕事を命と同時に失うようなことが、あってよかったのだろうか。


大きな成果を願うより、生きていてこそできる仕事の楽しみ方もある。
走り続けるだけが、仕事のスタイルではないのかもしれない。
そんなことを考えて、自分はそういう命の終え方をしたくないものだと思った。


どんなに大切な仕事であったとしても、
命や愛するものとの時間を犠牲にしてまで、成果を上げたいとは、
自分は思えないなと再確認した。
生きていることが一番たいせつなことだと思った。
故人を否定するのではなく、故人が残してくれたメッセージを、
自分なりに受け止めたいと思う。


では、また。