いるはずだった場所

こんにちは、検索迷子です。


今日、ある商業施設に入っているお客様のところに商談に出かけた。
奇しくもそこは、私がかつて勤めていた会社も入っているビルだった。


でも、私は建設中のその施設を見てはいたが、
実際には入居する直前のその会社を辞めていた。
だから、実際にそのビルに足を踏み入れたのは初めてだった。


あと数ヶ月、その会社に残っていたら、
自分にとっては仕事をする場所だったのかもしれない、
そう思うと不思議な思いがした。
いるはずだったのに、いなかった残像のような自分の姿が見えたような気がした。


いるはずだった場所。
でも、実際には、いることはなかった場所。


ちょっとした判断で、ちょっとした運命の転換点を迎え、
自分とは無縁の場所に終わったビルに、
まさかまったく違う立場で打ち合わせにくるとは思わなかった。


でも、救いなのは、そのビルとは何の縁も生まれなかったため、
何の思い出もなく、足を踏み入れられたことだ。
せいぜい、建設中だった場所が完成していたという時間の速さを思う程度だった。


このビルで働き続けるような自分であったら、
今の自分はいなかったはずだ。
そう肯定的に現在地点の自分をとらえていこうと思っている。


いるはずだった場所にいないということは、
自分の居場所ではなかったのだと思う。


広い施設のため、見知った顔に会うこともなく、
もはや、私にとっては過去の場所ともいえる、
そんな場所になっているのかもしれない。


ただ、ここに毎日通勤するような自分だったら、
どうだったのだろうと、
ありもしない過去のことが、わずかに気にかかった。


でも、時間はもう過ぎた。
そして、違う場所が今の居場所なのだと現実を直視しながら、
冷静であろうと思うことにした。


過去、手に入ったかもしれないはずのものより、
今、これからの状況だけみすえて、
前を向いていこうと思った。


では、また。