こんにちは、検索迷子です。
何度か転職をしてきて、職場ごとに年齢構成の違いの差が大きいと感じる。
その会社の人員は、本当に似たような人で成り立っているなと思ったりする。
平均年齢が若く、
自分が上から数えて何番目というところにいたかと思えば、
逆に自分が若手と言われる世代で下から数えたほうが早いところもある。
今は、そういう場所にいる。
不思議なことに自分は何も変わっていないのだが、
年下の人が多い場所では、自然と老成したような振る舞いとなり、
落ち着いていなければと思ったりする。
ちょっとした失敗も許されず、人を指導する側になったりする。
反面、定年まで勤め上げるといった風土のところでは、
自分はまだまだ子ども扱いをされて、
あれやったか、これやったかと親のように言われたりするが、
失敗には寛容な目で見守ってもらえる。
どっちがいいということはないのだが、
一度も転職をしたことがないような、
同じ職場にずっといるような人が多いところにいると、
何か自分は子どもっぽく転職してきたのだろうかとか、ちょっと思う。
よく言えば、どんどん自分の可能性を試してきたとも言えるし、
見切りをつけるのも早く持続性もなかったのだろうかとも思う。
自分より若い人と働くことで、
下から突き上げられるように学ぶことも多いが、
長年、いろんな時間を一社で越えてきた人たち懐の深さは、
腹のすわり具合が違う。
同じ自分でも、周囲の環境によって位置づけがまるで変わる。
それは、面白い発見でもあり、ちょっと怖いことでもある。
率先してやってきたことをやらなくなったり、
それまで意味があると思ってきたことにこだわりもなくなる。
たとえば、年下の人が多い場所では教育をするとか、
マニュアルを作るとか、経験を残すことに意味を感じていた。
ところが、自分が若手の部類になると、教える対象がいるわけではなく、
教育について皆目考える必要もない。
むしろ、年長者の経験を学ぶことばかりだ。
自分の位置づけが変わることで、
自分の真のスキルみたいなものが、だんだん浮かび上がるような気がしている。
まだまだひよっこだと思えることが、嬉しくもあり、怖くもある。
それにしても、一つの会社にいて、
ずっと勤め上げるという経験は、もう自分にはできないことだろうが、
どんな思いで何十年も時間を重ねていけば、それができるのだろう。
すごいことだなとそれだけで尊敬してしまう。
自分の位置を、他人との相対評価で決めるのではなく、
絶対的な何かによって見つけなおさなければ、
そう思うことが多くなった。
年齢なんて、ただの記号なのかもしれないと、
それと能力は別物なんだと思ってきたが、
やっぱり、まだまだ年齢と経験を同じように人は見るものだ、
わかったのはそれだけなのかもしれない。
年長者と扱われることも、
若手と扱われることも、
何か違うように思えてならない。
では、また。