出向いて話す意味

こんにちは、検索迷子です。


GW明け、いきなりアポがとれて、
往復4時間ほどかかる場所に打ち合わせに出かけた。


打ち合わせ時間より移動時間が長いとき、
これまでだったら、なんと効率の悪いことかとか、
メールや電話で済ませられないのかとか、
出向いてまで聞き出したいことは何なのかとか、
出向く意味というのをあまり見出すことができなかった。


ネット業界で複数の会社を経験してみて、
業務効率化を進めるため、先進的なツールを駆使して、
それを使うのが当たり前だと言う会社もあった。


が、メールをしたら、メールをしたから読んでおいてくださいと、
声をかけたり電話をしたりしなければならないところも、
まだまだあるのだということも知った。


なぜ、こういう違いが生まれるのかと思った。
技術者が多く、内勤の人が多いところで、
常に全員が在席しているようなところは、
ツールを使うことによる効率化が進んでいた。


そして同時に、会話をしないで仕事をすることも当然だった。
メールも、インスタントメッセンジャーもするけれど、
立ち上がって席にいくとか、声をかけるとかはまるでせず、
隣の席に一日座っていても、
相手の顔を見ないまま過ごすことも多かった。


ところが、営業やほかの職種の人が混じったり、
あるいは、年代に開きがあったり、
取引先が電話文化だったりするところは、
とにかく声をかけあい、直接話すことが多い。
そして、メールが驚くほど少なかったりする。


どっちが良いとは正直なところ言えない。
他人の電話を取り次いだり、
メールを読まない文化だったりするところは、
コミュニケーションといえば格好は良いが、
非効率とも言える。
仕事は中断されるし、同じ話を何回もする。
声をかけないと機嫌を損ねる人に細心の注意を払う必要もある。


メールだけで済ませるところは、
メールを自発的にタイムリーに読まないことが非難の対象になる。
それゆえに、自立心や自己責任意識も芽生えやすい。
しかし、メールで攻撃しあうような風土も生まれる。


長所も短所もあげればきりがない。
そして、自分はその組織の慣習化されたスタイルに、
新参者としてとりあえずはなじむしかない。


長時間かけて移動することの意味は、
あるとも言えるし、ないとも言える。
だけど、それが当然という風土の社内や取引先ならば、
とりあえずは、それに沿って馴染んでいくしかない。


それにしても、
メールを送ったので見ておいてください、
そういう電話の伝言メモをたくさん書く日が来るなんて、
まさかという気持ちでいるのは確かだ。


時代に逆行しているような気もするし、
それが社内の人の仕事を理解するには有効な気もする。
いいとも悪いとも今は結論づけたくないが、
メールってそういうものなのかなと考えさせてくれるきっかけとなる。


以前、メールのみで意思疎通をしていた会社から、
電話中心のところに移ったばかりのころ、
社内外問わず、電話よりメールでやりとりすることに、
お叱りを受けることもあった。
その頃は、そんなに失礼なことをしているという気にすらならなかった。


今は、道具や手段は何であれ、
対面での打ち合わせであれ、
目的を達成するために伝達が一番有効な手段であれば、
それでいいと思うようになり、
どんな方法でも相手に合わせるようにしている。


そういえば、どんなときでもFAXでくださいという人もいれば、
ファイル交換サービスで、PDFでという方もいる。
メーリングリストにと言う人もいれば、
私信で個人だけにメールしてくださいという人もいる。
会社には会社ごとのローカルルールがある。
そこに対して、効率とかを持ち出して我を通しても始まらない。


出向いて話す意味もそうだし、
メール一つもそうだけど、
その手段を反感の買わないものにするかしないかは、
普段の誠意の見せ方なのかもしれない。


相手を自分のやりやすいように、誘導することだって、
あながち不可能ではないのだから。


どんなときでも、信頼関係を築くことが、
何よりも一番大事なのだろう、
そういう基本的なことを伝達手段の多様化とか、
相手の反応を見ながら考えることが多い日々である。


では、また。