先が見えたとき

こんにちは、検索迷子です。


何かを始めたとき、ほんの導入部分から先が読めてしまうことがある。
それは時に安心感につながり、時に疲労につながる。


先が見えないことは不安だが、
先が見えすぎることの不安感もある。
この先は、ここまでしか通じていないのだろうかと思ってしまう。


結論を出すのは、ずっと先だったとしても、
この仮説がはずれてくれればいいなと思ったりする。
先が見えたものは、幻想であり、
時間とともに、その見えたものが違った形であることを願ったりする。


先が見えること、見えないこと。
どっちも困るけど、どっちがいいのだろうとも思う。


先が見えたことへの対処は、これまではわりと早く考えてきたけれど、
これからはどうなのだろうと思う。
何か、過去の自分を乗り越えることが求められているような気もする。


先が見えかかっているけれど、
そこに焦りとか早急な判断はしなくてもいいのかもしれない。


長い目で、先のもっと先を見ていければと思う。


では、また。