自分の枠を外してみる

こんにちは、検索迷子です。


転職して一ヶ月が過ぎた。
外回りの多い仕事をするようになり、
当初は大丈夫だろうかと思っていたが、
思った以上に平気だということがわかった。


と言うより、逆に今まで何故こういう仕事をしてこなかったのかが、
不思議な思いがした。
社内の人間とばかり話すことが多かったのだが、
社外の人と話をしてみて、意外と物怖じせず、
どんな立場の人とでも会話ができるとわかった。


法人営業のようなこともやっているのだが、
契約とか価格交渉とか、そういったことが不安だったりしたが、
誠意を持って、手順を踏んで、相手の意図を汲み取ることができれば、
大きく外すことはないのだとわかった。
なぜ、こういうことが今まで特別なことに見えたのだろう。


営業的な仕事は会社の顔というイメージがあって、
責任も異常に大きいと思ってきた。
実際にそういう面もあるが、人と話をするということは、
どんな仕事でも大切なのは変わりはない。
職種が違ったところで、人格まで変えるものでもない。


ただ、はっきりと言えるのは、
誰にも頼らず自分がこの交渉をするのだとか、
発言に責任を持つのだという気持ちが、
ある種の開き直りとなり、自覚を持てるようになったのかもしれない。


また、今までは、外出ということがとても特別な気がしたが、
今は、上司にこれから出かけようといきなり言われても、
なんの抵抗もなく、準備もなくさっと立ち上がり、
さくっと出られるようになった。


行く道すがらに情報収集や、訪問のゴールや、
担当者の方のことや、これまでの背景など、
歩きながら、乗り物に乗りながら、あるいは先方の受付で待っている間に、
聞くべきことをヒアリングすることが、
十分にできるのだとわかってきた。


こういう仕事が苦手だと思って、積極的に取り組まなかったこれまでの時間は、
いったいなんだったのだろうと思う。


でも、思うに、今の時期だからこそ、
こういうことができる自分になっていたのかもしれない。


基礎力は同じだったとしても、
覚悟や責任がないときは、やはりできなかったのだと思う。


自分がここまでしかできないとか、
これしかやりたくないとか、
準備していないことは怖いとか、
そういった枠を思いっきり自分にはめていたのだと思った。
たぶん、ちょっとした依頼ごとを受けるときでも、
もったいぶったり、あるいは時間を先延ばしにしたり、
マイナス要素を考えたりして、本当に腰が重かったのだと思う。


今は、これから出られる?と聞かれれば、
目先のことをさっと片付けて、
行きますとすぐに出かけるようになってきた。
毎日こういうことを続けているうちに、
反射神経も良くなったような気がする。


あれこれ考えてできないと思っていたのは、
他人が決めたレッテルではなく、
自分が自分に張ったレッテルだったのだとわかる。


自分とはこういうものだと能力に限界を決め付けず、
どんどん連れ出してくれる人と出会えたのも大きいかもしれない。


自分の枠を小さくしているのは、自分のせいだったのだと、
この一ヶ月でものすごくわかった。


拒絶するより、受け入れたり、
流れに逆らわず乗ってみるとか、
そういうことで、やれる仕事の範囲が広がることもわかった。


何よりも、自分ではできないと思っていたことを、
むしろ他の人よりも得意そうだと、
今の職種に配置されて、その場を提供されたことが、
自分で見えていなかった仕事のスキルの発掘になった気がする。


そして、思った以上に人と会話しながら、
発散したり、要件を汲み取ったり、
提案したりということが、
瞬時にできたり、仕組みがわかっていたりするのだと、
見えていなかった自分の底力みたいなものを確認できたりする。


同じ仕事、同じ仲間とばかり働いていては見えてこなかったものが、
転職をするたびに発見できる。
最初の数ヶ月は、環境に適応するためにいろいろ気も遣うが、
自分のスキルの違う面を知ることもできるので、
転職するのも悪くないなと思ったりする。


実績をあげるのはこれからだが、
何か、過去の転職したばかりの頃とは違い、
楽観的に、何とかなるような気がしている。
そして、自分が思い込んでいたスキルとは違った面が、
これからどれだけ広がっていくのかも楽しみである。


自分の枠を作るのは自分だし、
自分の枠を外そうと思うのも自分なのだと思った。


もっと、身軽になっていけば、
まだやれそうな気がしている。


自分が何者かは、他の人に決めてもらうのも悪くないなと思う。
枠を外すことで、視界が広がり、
できることも増えていくのだと知れたことは良かった。


少なくともGW明けに職場に行くのが、
そんなに憂鬱にならずに済みそうなくらい、
何かやれそうな自分への期待感をもてるのが何より嬉しいことだ。


では、また。