携帯を持たない時間

こんにちは、検索迷子です。


職場のビルを出て、駅に向かおうとしたとき、
席に携帯電話を忘れてきたことに気づいた。


以前なら、日中はカバンにいれっぱなしで、
休憩時間くらいしか使わなかったのだが、
今は、業務用の携帯電話が支給されることになっており、
それが届くまでは、私用のを使っている。
そのため、頻繁に日中使っていて、机に出しっぱなしにしている。


携帯を取りに戻ろうとして、思い返してやめた。
広いビルの敷地を引き返すには天気も悪く、早めに帰宅したかった。
また、節電のためエレベーターも間引き運転されたビルに、
もう一度戻る気にはなれなかった。


それよりも、携帯が翌朝まで数時間なかったところで、
どれくらい困るだろうかという思いだった。


でも、いざ駅まで歩いていたり、電車に乗ったりしながら、
いかに携帯で、時間を使っていたのかと知った。
サイトを見たり、メールをしたり、
すきまの時間を活用しているような気もしたし、
逆に、手持ち無沙汰だからそういう行動をとっていたのかとも思った。


なくて始めてわかるような、不便さを経験したり、
なくても平気なものだと思ったりした。


今、節電でいろんなところの照明が暗くなっている。
暗いけど、見えないわけではない。
減らしてみて始めて、このくらいで用は足りたのだと思う。


携帯を忘れてみて、今持ってなくても使える時間の過ごし方があるのだと、
新鮮な思いがした。


帰宅すればパソコンもあり、家の電話もある。
本当に緊急なことって、意外とないのだろうなと思ったりした。


便利さは一度手に入れると、失った瞬間はものすごく不便に感じる。
だけど、なければないでなんとかなるものだと知ることは、
何かものごとの原点に返れる気がする。


携帯がない時間も悪くない。
手持ち無沙汰になる分、何か情報収集の方法一つとっても、
違った時間が使えて、いつもと少し違う感じがする。


忘れ物をしてみて、始めてなぜそれが必要だったのかと、
ちょっと考える時間だった。
便利なものがなくなると、時間の感覚が変わる気がする。
本当に必要なものは何かと、ものすごく、神経が研ぎ澄まされていくような、
そんな時間がやってくる。


では、また。