こんにちは、検索迷子です。
外部のセミナーに出席するため、日中、外出をした。
電車で移動中、そういえば以前勤めていたところの隣駅だと気づいた。
ちょうどお昼どきだが、さすがに隣駅だから誰とも会うことはないだろうと、
一瞬で忘れて、駅で降り、目的地に向かった。
普段はほとんど使わない駅で降りたためか、どっち方向かと確認しながら、
慎重に歩いていた。
方向も、目印の建物も見つけて、目的地まであとわずかだった。
すると、数メートル前に見慣れた人の姿が複数見えた。
え、まさか。
似てるけど、こんな遠くまでランチには来ないよねという場所だった。
でも、目を凝らしてよくみるとやっぱりそうだった。
かつての同僚が数名、お店の外で行列に並んでいた。
通り慣れている道だったら、気づかずに素通りしたかもしれないのに、
目的地までこまめに場所をチェックしながら歩いていたから、
そこに並んでいる人の姿をじっくり見てしまったようだ。
別に今、会ったところで挨拶をして通りすぎてしまえばいいのだけど、
同僚とはいえ、ほとんどつきあいがなく、
辞めた後、何も共通の会話となるものがないため連絡もしていなかった。
私が目的地にいくためには、そのルートしかない。
幸い、時間には余裕があったため、近くのビルで少し時間をつぶし、
行列からその人たちが店内に入る時間を見計らい、目的地に向かった。
今考えると、なぜ声をかけなかったのかと思った。
何かやましい気持ちがあったわけでも、
挨拶できなかったわけでもないのだ。
元気?と声をかけて、名刺でも渡してしまえばよかっただけだ。
でも、私が声をかけられなかったのは、
あまりに、昔そのままの光景に、一瞬ぎょっとしたのだ。
数名でランチに連れ立っている姿も、顔ぶれも、
着ている服の様子も、何もかも同じに見えた。
タイムスリップしたかのように、一体何年前の姿を見ているのかと思った。
この人たちは、何年、こうやって同じ人たちと、
毎日毎日同じランチタイムを過ごしているのかと思うと、
何か、それがびっくりしてしまった。
私が在籍しているころもそうだったが、それから時間が経過した今も、
まだその習慣がずっと続いているのかと。
そして、こんなに遠くまでランチに今の時間に来ている、
ということも、ああ、それほど仕事は大変ではないのかも、
とあらためて思った。
思えば、私がそこにいるころもそんな感じだった。
午後の始業時間ぎりぎりに戻ってもなんら問題なかった。
だけど、同じところで仕事をしていたとはいえ、
ここがランチ圏内だとは全く知らなかった。
たしかにときどき、お昼休み明けに遅れて戻って来ていたのは、
こんなに遠くに来ることもあったからなのかと思ったりして。
同じ時間を別々の場所で過ごして、時間が経過すると、
私はそこを辞めて以来、外部の人と会う機会が増えて、
同じ人とずっと一日一緒にいるということも減り、
随分といろんな人と会ってきたなと気づいた。
そこにいたころは、逆に同僚以外と会話することがほどんどなく、
外部の人と会うこともまれだった。
そういうことすら忘れていた。
そんななかで、昔そのままのその集団を見るのは、
なにかものすごくおかしな気持ちになり、声をかけられず、
足も止まってしまった。
あまりの昔のままの姿に、非日常的な自分が登場し、
声をかけるのもためらわれた。
一緒に仕事をした人たちが過去になる。
それをしみじみと感じた。
だけど、変わっていないのが自分のほうではなく、
相手方のほうであってよかったと思った。
少なくとも、私はその会社にいた頃には縁がなかった、
専門知識を深めるセミナーに出るためにその場所に出向き、
その会社にいたときより数段、自分が目指すものに近づいていると思えたからだ。
昔の場所にい続ければ、永遠にチャンスがこなかったことだ。
それができる自分になったのだと再確認できた。
実際は会話もしていないからわからないし、
向こうから見たら私だって変わっていないのかもしれないけど、
それでも、自分が人に見られて恥ずかしいと思うような、
そんな凋落はしていないと思えただけよかった。
変わらぬ人々は、もう仕事での安泰の場所を見つけて、
毎日同じ仲間と同じ行動パターンを繰り返すのが、
むしろ安定感を生むのだと思うが、
私自身はそういうことはなじまないほうだ。
ルーチンワーク、同じ面々、同じような日々は、
どうしても息が詰まる。
一年前と同じことを繰り返している自分は想像ができない。
変わらぬ人々を見て初めて、
そこを辞めてから変わった自分を実感できた気がする。
声はかけなかったが、姿を見たことは偶然とはいえ、
良かったのかもしれない。
その後の集中力を必要とするセミナーでは、
思考が切れることもなく、今の私に必要な知識を得た。
たぶん、気が動転するようなことでもなかったのだと思った。
変わったのは自分なのだから、堂々としていればいいのだと。
同じ会社という枠を外れてしまえば、
何のつながりもなくなるような人たちだったのだから、
次回そういうことがあったとしたら、
スマートに名刺を渡してビジネスの話ができるくらい大人になろう、
なんだかそう思った。
変わらぬ人々はそれはそれでいい。
だけど、私は変わりたくてそこを辞めたのだから、
どうせならもっと変わって、ちょっと前ではなく、
大昔と言えるくらいの過去にしてしまおうと思った。
自分では、経歴を聞かれたときさえ言わない社名であることを思い出し、
それくらい薄い記憶だったのだと思う。
あまりの偶然のタイミングに、あれこれ考えたが、
振り返ってみればそこを辞めて悔いたことは一度もないのだ。
おかしな時間だけど、興味深い発見もできた。
隣駅とはいえ気を抜かず、いつだって、
誰と会ったって、しゃんとしている自分でいようと思った。
変わろうと思うなら、変わった姿をいつ見られてもいいよう、
自分の核をしっかり持って、歩こうと思った。
隠れることまではしなかったけど、
会話するのはちょっとなんて思うこともなかったのだろう。
次は、今、こういうことをやってると話して、
売り込みができるくらいタフになろうと思ったりした。
それにしても、昔そのままの光景にびっくりした。
なんだか、小学校の校舎に身長が大きくなった自分が入ったみたいだった。
それくらい、ギャップを感じた。
変わらぬ人々を前にして、変わり続ける人であろうと思った。
そのために、私は未来へのドアを開けたことを思い出せた。
変わらぬ毎日も楽しいそうだが、変わることを私は選んだのだ。
では、また。