こんにちは、検索迷子です。
だんだん、つらいときほど泣かなくなってきた。
たぶん、嬉しいことよりも、我慢しなければならないことが多い、
そういう現実を少しずつ知ってきたからだろうか。
嬉しい知らせを今日聞いたとき、思わず涙が出てきた。
何度トライしても望む結果が出ず、あきらめかけたり、
もうだめなんだろうかと思ったり、失意の日々を送ったこともあった。
それでも、朗報に我が目を疑い、
これは本当なのかと驚き、
そして次には、涙がにじんできた。
嬉しくて泣けるということが、さらに嬉しくて、
ますます涙が出てきた。
つらいことはこらえられる。
泣くことも我慢できる。
そういう大人になっていた自分が、
思いがけない大きな喜びを得て、苦しみの先の光を見つけて、
緊張の糸が解けたかのように涙が出てきた。
泣くタイミングはいろいろあるだろうが、
つらくて泣いても、泣き疲れた後でも泣く前と変わらない。
ならば、泣くだけ惨めになるから泣かない。
そのほうが、傷は浅い気がしていた。
でも、嬉しい涙って抑えられないものだと思った。
思いっきり、嬉しいと思って泣いていいんだと思った。
泣くタイミングは自分では予測できなかったりする。
思いがけず流れた涙に、自分をねぎらいたい気持ちになった。
これが最終形ではないとしても、
区切りとなる嬉しいことがあっただけでも、
まだ立ち止まらずに歩いていける、
それを実感した涙だった。
安堵の涙は、悔し涙よりずっと透明な気がする。
まっさらな気持ちで、まっさらに何かと戦ってきたものが、
浄化されて、素直になれるような涙だから。
嬉しさと安堵で泣ける自分でいられて、
それだけ、前だけ向いてきて良かった。
そう思えた一日だった。
悔し涙を流した時間があったからこそ、
今日という一日に出会えた。
それを感謝したい。
そんな、涙を流せてよかった。
では、また。