たとえ望みと違っても

こんにちは、検索迷子です。


なんとなく起こした行動で、
あれれ、自分が行こうとしている方向はこっちじゃないのに、
と後から気づくことがある。


望みと大きく違っていることすら、はずみで選んでいたりして、
それが思いがけず深い段階までいったりして、
あら、こんなはずではと思うことがある。


だけど、どんな状態であれ、
それを引き寄せたり、そこにアクションを起こしたのも、
あるとき時点での自分の行動や決断だったのだ。


そう思うと、無意識な行動とはいえ責任が生まれる。
そして、相手がいることなら、それに応える必要も生まれる。


放置しておくこともできず、何かに向けてクロージングをする必要もあり、
なぜこんなことになったのかと疑問を持ちながら、
それでも引き返すことができないときもある。


たとえ望みと違っても、
それに一瞬だけ興味を持って反応を起こしたのなら、
それだって過去の自分の一部なのだろうと受け止めるしかない。


望みと違うものさえ、手を出したり、
アクションを起こしてしまう自分がいた、ということか。


だけど、たとえ望みと違っても、
完全に不一致なわけではないのだと思い直し、
それに乗っかってみるのも悪くないのかもと思う。


望み通りに全てはいかない。
だから面白くもあり、けれど不安でもあり、
一歩先に何があるのかは不透明だ。


たとえ望みと違っても、
何かがあるのだと思って進んでみようと思う。
引き返すより、きっとつかめる何かがあるのだと信じてみるのも、
たぶん、悪い結果にはならないのだと思いながら。


では、また。