コミュニティで何を得るか

こんにちは、検索迷子です。


ソーシャルネットワークで、人と交流をすると、
意外な反応を見ることがある。


肯定的に意見に賛同する人もいれば、
積極的な意見を毛嫌いしたり、
発言者の特別な事例だったり強者の発言と勘違いしたり。


そういう人は無視を決めこむこともできるだろうに、
ときどき、激しく反論したり、異論を唱えたり、
あるいは、誤解していたと過去のこととして振り返ったり、
反応はさまざまだ。


こういうやりとりを見ると、
もともとの発言者が悪いというより、
こうしたコミュニティ要素がある場所での、
人との交流慣れしていない側が、ちょっと痛々しいと思う。


発言する側は、情報や事実や経験をぽんと投げているだけで、
そこに他意はなかったりする。
受け止める人が、その情報の取捨選択を自由にしてください、
ということで広く誰にでもという形で、
積極的に情報を投げる。


情報を投げた後、そこから誰がどう活用しようと、
読み捨てようと、そこまでのつながりではないと割り切りもある。


だけど、受け手がそれを自分個人のこととして受け止めて、
過剰反応すると状況はややこしくなる。


コミュニティって、もともとが一対一でのやりとりより、
他対他であるがゆえの、ふくらみが良さだと思っている。
一対一で言いたいなら、個別にメールすればよく、
あえてそれをしないで開かれた場を使うのは、
その情報をたった一人ではなく、
多くの人に伝えたい、伝えるメリットがあると信じるからだ。


でも、ときどき、一人の過剰な受け手によって、
何かコミュニティが乱れることがあったりする。


リアルな場ではなく、コミュニティだからこそ、
それなりに全体の中の一人だということを自覚し、
言い過ぎてはならないし、個人攻撃もしてはならない。


コミュニティから得られるものは大きい。
だけど、コミュニティを使いこなせて、
活用しきれる人同士が集い、継続するには、
失うものもあるのかもしれない。


コミュニティから何を得るか。
何を得られると信じて参加するのか。
人それぞれだろうが、
個人間のいさかいやすれ違いが起きると、
その場は荒れていく。
そして、それを望まない多くの参加者は遠のいていく。


コミュニティの力を信じたいと思う。
利用する人同士が、大人の関係として、
クールにそしてホットに意見交換できる場所であってほしいと願う。


言葉が一番大事なものなのだから、
言葉を武器にしてはならない。


いいコミュニティに関われる人でありたいと思う。


では、また。