場所の記憶

こんにちは、検索迷子です。


最近、訪れたいくつかの場所で、
忘れかけていた過去の記憶がよみがえるという経験をした。


ある場所は、過去に勤めていた会社のすぐそばだった。
辞めて以来、めったに行かないエリアだったこともあり、
駅を降り立ち、その街ならではの空気とか街並みを感じ、
瞬時に思い出すことがいくつもあった。


他の場所は、以前の知り合いとよく食事をしていたエリアだった。
昼間に行ったことがほとんどなく、
しばらく、同じ駅とはいえ同じ方面だとは全く気がつかなかった。


でも、なんでもないチェーン店の入口を見たとき、
あ、ここ、来たことがあると思い出した。
それで、ああ、あのときいたのはここだったんだと思った。
そのときは、通りすがりのたまたま入ったはずのお店が、
何か思い出を作ってしまっていた。


でも不思議なことに、駅が改装されていたり、
街の雰囲気が大幅に変わるほどに、
長年足を踏み入れていなかったエリアの場合、
以前ここに来たなと思うものの、
それ以上の感情はわかなかったりする。


時間が経過しても、街が過去と同じようなままでいると、
その光景が、過去の残像を連れてきて、
ぴたっと映像がはまってしまい、
自分がそこに過去のある地点でいたと思い出してしまう。


そして、思い出すことといえば、
なぜか、ちょっと胸が締め付けられるような、
少しつらかったり、忘れたいと思っていたりするような、
ネガティブさや自分の至らなさや、
あまりいい思い出ではなかったりする。


今日は自分は別な目的のためにここに来て、
一つひとつ、集中していなかればならない案件を持っているのに、
駅についた途端、そんな感情に振り回されてはいられない。
そう思って、目的地に行くまでに気持ちを切り替え、
行き先でのイメージトレーニングをしたりするが、
微妙に早く着きすぎて時間をもてあましたりすると、ちょっと困る。


場所は思い出を作ってしまう。
それが嫌な思い出だったらなおのこと、
もしかしたら、その後も頻繁に行って思い出を上書きしたほうが
いいのかもなと思った。


過去いったお店がなくなっているのは淋しいが、
なくなってくれていると安心するときもある。
街並みも変わってほしくないと思うところもあるが、
変わってくれていたほうが、どんなに救われることもあるか。


場所の記憶は、心のなかにあるだけでいいのだろう。
過ぎた時間だけを思い出してしまうような、
そんな思い出し方は、少しばかりせつなくなる。


あの日のあの場所で、
もしあの選択をしなければ、
今もまた通っていた場所かもしれないだけに、
もう、そこが日常にはない自分だけが、
ぽんと放りだされたような気持ちになる。


場所の記憶は、五感全てで覚えているものだと、
何か思わされた。


そういう場所に、再び通う日が来るのかどうかは、
まだわからない。
それだって、縁の一つなのかもしれない。


では、また。