特別でない特別

こんにちは、検索迷子です。


自分だけに特別なものや条件が与えられた、
そう思っていたときに、その特別なことが他の人にも
提供さえているものだと知ると興ざめする。


自分にだけ、ということに価値を感じていたりすると、なおのこと。
ところがふと見回すと、誰もが同等の特別な待遇を受けていて、
なんだ、唯一ではない特別なものだったのか、
誰にもばらまかれているものだったのかと知る。


そう一度思ってしまうと、特別感が薄れてしまう。
ならば、どうするか。


一度は特別なものとして提供を受けたものを、
特別ではないことを理由になかったことにするか、
それとも、それでも普通だけど特別っぽいということで折り合いをつけるか。


ものによるといってしまえばそれまでだけど、
こういうのって、心理的に信用できるかということにもつながる。


とりあえずは、受け取る。
だけど、信用はしない。
継続的に何かをしない。
そういう気分にはさせられる。


個人的なサービスだってそうだし、
仕事上での競合同士の契約価格のあいみつだってそうだろう。
自分のところとだけ、と思っていたら、
裏で他とやりとりしていた。
そういうのは日常茶飯事としてある。
なぜなら、最も好条件の契約を引き出したいからだ。


そう思うと、特別をばらまくというのも、
自分が唯一ではなく、
自分と同等の価値の人はいて、
自分だけとやりとりをしたいのではないのだとわかる。


これは卑屈な意味ではなくて、
本当に唯一の特別なものを受け取れるなんて、
結構希少なことかもしれず、
常に誰かと比べられているのだろうなと思ったりする。


特別ではない特別なものを提供されたからと言って、
それは腐ったり、不機嫌になることではないのだろう。
そういうものだ、
自分と同じような人はいる。
ということを理解してさえいれば、怒りもわかない。


唯一、本物の特別になれる自分になっていけばいいのだと、
こういうとき、つくづく思う。


特別と本当に思われるように。


では、また。