無駄と思える時間こそ

こんにちは、検索迷子です。


お茶をする時間がとても好きで、一日のその時間をとても大切にしていた。
でも、ちょっとした環境の変化で、ここしばらくその時間がとれない。


外出先から、寄り道をせずさっさと帰宅し、
どこかに出かけるときも、目的地と自宅の往復だけとなった。


一見、無駄がなく、効率よくなったように思っていたが、
何か足りない。


何だろうと考えたら、自分をリセットしたり、
向き合ったり、本を読んだり、勉強したり、
といった静かな時間や、
意欲的に集中して一つのことに取り組む時間がなくなった。


無駄と思える時間は、実はものすごく生産的に、
発展的に生きていける栄養を自分にくれていたのだと思った。


それまでは、お茶をするというただの時間だと思っていたが、
お茶というのはただの一部であって、
その空間、その時間が一日のうちにあるということが、
どれだけ大事だったのかとわかった。


人によっては、それは通勤時間かもしれないし、
趣味の時間かもしれない。
私にとってはどうやら、お茶の時間だったのだ。


それでも、今のリズムのなかで、まだ当面、
この時間を取り戻せる見通しはない。
無機質な時間を繰り返し、
なんとかこの時間を再度、生活のなかに組み込めるよう、
工夫をしていかないとと思う。


無駄なことではなくて、むしろ大事なことだった、
それに気づいただけでも、良かったなと思う。


ゆとりのない生活スタイルはだめなんだと思う。
誰にだって、他人からみたら時間の無駄遣いに見えるようなことでも、
本人にとってはとても大事だったりするのだと思う。


お茶を飲みながら、静かに過ごす。
一日をリセットして、何かを創造する時間。
そういう時間よ、再び。


では、また。