選ぶ側が選ばれている

こんにちは、検索迷子です。


大人になると、さまざまな場面でさまざまな選択が必要となる。
その場面において、選んでいるつもりが、選ばれていたり、
選ばれている側であっても、選んでいたり、
主従が逆転するような場面に出会う。


たとえば、転職するとき、
わずか一社しか行き場の可能性がないときは、
ただひたすら選ばれることだけを望み、
多少の条件にも目をつぶることがある。


でも、選ぶことができるところが数社あれば、
自分は選ぶ権利を行使できるようになる。


いくつかの会社とこれまで接してみて、
その会社と最初に接点を持ったときの違和感というのは、
結構当たるものだと思ったりする。


たとえば、企業というのは採用前では結構強気で、
低姿勢なところというのはあまりないような気がする。
採用する前は、一般顧客でもあるということを忘れたような対応だったりする。


特に、一番最初に接点を持つ人事採用担当が、
あれ?と思うような行為をするところは、
たいてい入社後もそのような組織風土を体感することになる。


ある会社で私は入社日の変更を知らされず、
さらに悪いことに誤った場所を指定されたことがある。
その会社の人事担当は入社してすぐ知ることになったのだが、
手がまわっておらず、組織も崩壊していた。
人員の定着率もとても悪いところだった。


別なところでは、意思決定はとても早そうな感じだったが、
書面でいっさい連絡がなく、給与条件提示すら電話だった。
無神経だなと思ったら、何よりもスピード重視で、
書面に落とすことを軽視しているところだった。


またあるところでは、面接日程が二点三点したうえに、
なかなか決まらないとか、
当日さんざん会議室で待たされた挙句、キャンセルをされて、
後日またということになったりした。


さらに、あるところでは電話で面接日時だけ聞かされて、
メールしますと言ったきり、
集合場所の連絡さえも当日まで来なかったところがある。



いろんな事情があるのはわかる。
新規採用者よりも、目の前の仕事が大事だったり、
業務に追われているのもわかる。
でも、そういう企業の体質を見せ付けられて、
それでも選ばれる側だからと卑屈にはなりたくないものだと思う。


選ぶ側は強者の気分かもしれないが、
選ばれる側はそういう選ぶ側の態度をしっかりと見極めて、
表面的には選ばれる側であっても、
心のなかではこれだけは譲れないという、選ぶ側にもいるのだという気持ちを、
決して捨ててはならないと思う。


選ぶ側が選ばれているのだと、強者気分になっている組織は、
どこかで気づかないと痛い思いをするだろう。
もしかしたら、すでにいい人材を逃がしていることだろう。


人事採用担当者がたまたまそういう人だったという見方もあるだろうが、
それでも、企業の採用窓口にそういう不手際を平気でするような、
そんな人員配置しかできない会社だとしたら、
そのたった一人のために、失うものは大きいと思う。


選ばれる側にいる人は、妥協せずに、
選ぶ側の気持ちや目線を直感で信じてみるのもいいかもしれない。


選ぶ側は別に偉くない。
選ばれる側にこそ、選ぶ側を見定める権利があるのだと、
一般顧客の気持ちに忠実であったほうがいいだろう。


では、また。