自分には見えていない能力

こんにちは、検索迷子です。


出会って間もない人から、これまでこの方面の仕事をしてましたか?
と、言われることが多い仕事がある。


が、それは仕事の面では全く経験したことがないことだったりする。
なんとなく、これは苦手意識がないなと自覚はしていたが、
仕事にするようなことや、得意分野としてアピールすることはないと、
あえて気にもせずやってきた。


仕事どころか、訓練したこともない。
逆に、できなくてコンプレックスを感じている人が多いことなのに、
私はそれをできなかったことがないというものだ。
あまりにも普通にできるので、何もそのことを考えたことがなかった。


ちょっと具体的には書きにくいのだが、
たとえて言うなら絶対音感とか、何でも味を再現できる味覚とか、
そういうことに近い。
持って生まれたことかどうかさえ、考えたこともないことだ。



ところが、最近、いろんな人に、
どこでそれを磨いたのかと言われる機会が続いて、不思議な気分がした。
それが、人よりもむしろ得意だし、上手だと言われるようになった。
あまりにそう言われるようになってきて、
あれ? 私が今までやってきた仕事で、これを使わないできたのって、
もしかしたら損失だったのかなと思うようにすらなっている。


当たり前だけど、
生まれてきてから自分とずっとつきあってきて、
得手不得手というのは、わかっていると思っていた。


でも、ものによっては、絶対評価ではなくて、
相対評価で誰かよりも上手ということが得意とも言えるのかも、
ということに気がついた。


自分では得意だとは思っていないし、普通のことだけど、
他人からみたら、それはうらやましいと言われることだったりする。
得意って、自分で認めるだけでなく、
他人との比較でも、そうと言えるものもあるのだなと思ってみたりして。


ずっと自分の意識の外にあった、得意らしきもの、
それを仕事とつなげていくのかどうかは今のところは、わからない。
ただ、それは強みだと言えるのだということがわかってきたぶん、
知らなかった時よりもずっと気分はいい。


でも、それが得意だとずっと前に気づいていたら、
あのときや、そのときや、あの瞬間や、その場で、
もっとこういうことができたのかもなと思ったりする。
それは過ぎたことだし、その時に有効活用できなかった自分の鈍感さも、
自分が閉ざした心とか視界が原因だったのかもしれない。
どのみち、過去のタイミングでは運はつかめなかったのだろう。


今、そういう指摘をされて、素直に聞けて、
それから広がる可能性はないのかと思索をできるようになったことが、
何かが変わった証拠かもしれない。
だから、今が、その可能性を試してみるときなのだろうと思う。


何がどこで芽生えるのか、
見出されるのか、自分の持ち味を気づかれるのかは、
自分をあまり知らない人と接するのもいいのかもしれない。


たとえば同じ業種、同じ職種の人たちばかりで集うと、
自分よりもっと凄い人はいくらでもいるため、
むしろそれを隠したり、へたをするとコンプレックスになったりと、
逆の作用が働くことだってある。


自分が何者なのか、何ができるのか、
迷いの中にいる人こそ、違った環境の人と接してみると、
見えてくる自分の角度が変わっていけそうな気がする。


むしろ、手放しに相手のキャリアを崇拝できるのは、
仕事の利害関係のない、他業種の人だったりする。
えー。そんなことできるんですかと無邪気にほめてくれたりする。


どこにチャンスや、変われるきっかけがあるかわからないものだと思う。
そんなに得意なのに、その道にいかないんですかと言われると、
うーん。そういう手もあるかとか思えるだけ、
どんなに今が閉ざされた時間だとしても、
自分ってだめだと落ち込まずに、前向きでいられる。


どこかでは、だめかもしれない。
でも、他のどこかでは、あなたを探している人がいる。
あなたの持つ能力が最大限に活かされる場所が、
誰だって、必ずあると思っている。


変化を恐れさえしなければ、
次にいって、できることを存分に発揮する道もあるはずだ。
誰にだって。


では、また。