こんにちは、検索迷子です。
特に信心深いわけでも、特定の宗教も持っていないのだが、
ひんぱんに神社に行く。
一年を通して、徒歩圏内でいけるため、
わりと足を運ぶのだが、新年のこの時期だけは特別な気持ちになる。
生きていると、祈るしか他に方法が浮かばないことがある。
手を尽くしても思い通りに日々が進まず、
あとは神頼みというか、何かを心のよりどころにしたいことがある。
以前は、お参りをしたり、お祈りをしたりというのは、
ナンセンスな気がしていた。
でも、いつしか、祈ることが増えていった。
神社はいつでも入れるわりには、意外とわざわざ行かなかったりする。
だから、わざわざ境内に足を踏み入れてまで、お祈りをすることは、
以前だったらなかった。
でも、今はそれなりに気持ちを整えてお祈りをする。
これは、たぶん、
祈るということに魂を込めている人を、
通りすがりに何度か見かけたことが大きい。
平日のなんでもない日に、
全身全霊で祈りを捧げている人を何人か見かけた。
何度も頭を下げ、何度も手を合わせ、
立ち去るのも惜しいように、振り返っては向き直り、また頭を下げて手を合わせる。
何を祈っているのかは、もちろんわからない。
でも、祈りの内容が切実であることが伝わってくる。
こういう姿を見るにつけ、
私も真剣に祈ろうと思うようになった。
ごく普通の、何でもない日にも足を運ぶようになった。
そして、祈る。
年末から年始にかけて、初詣に出向く人は多い。
でも、それはお出かけめいていて、イベントのようにも見える。
祈りたいことはあるにしても、健康的な祈りにも見える。
人が出向かない時期に祈っている人ほど、切実ではなく、
そして、一人ではないという温かさがある。
祈るしかないという人たちの多くは、
一人で、そしてひそやかに祈り続けている。
祈りを捧げなくても、叶うことがたくさんあるなら、
どんなにか幸せだろうと思う。
信心を忘れかけている日々のほうが、どれだけ陽気でいられるかと。
祈りたいことが、
自分では実現できないことが、
運命に身をまかせるしかないことが、
できれば少ないに越したことはない。
私は、祈る。
たった一つの願いを、何度も繰り返し祈ることで、
神様にこの願いは本当に真剣なのだと伝えたいということもあるし、
自分でも、この願いを叶えることに本気なのだと自覚するためにも、
祈りを込めて、
この一年がよい年であるように。
祈るしかなかったとしても、
祈ることさえないより、ずっとずっと幸せなのだと、
明日へと希望をつなぐためにも、祈る。
では、また。