自然に普通に

こんにちは、検索迷子です。


検索迷子というブログで、
一年の最後の日を締めくくるのは初めてのことで、
普通の内容にするかどうか少し悩んだ。
もともと、季節ネタはあまり書いていないので、
今日は普通の一日なのか、特別な一日なのかと考えて、
ま、いつも通り、なんとなく書くことにします。


ブログって、私的なもののようでいて、
公開しているせいか、本当の私的なことは書けない。
これは、匿名性を維持しようという制約のためもある。
そして、読まれるという前提に立つと、
普通に自分が考えていることだけ書いてもな、と思ったりする。


自分が使いたくないというのもあるが、
人にわざわざ読ませたくないという思いから、ネガティブな単語や、
何かを否定するようなことはできるだけ書かないようにしている。
それも、自分の本心を遠ざけているような気持ちになることがある。


過ぎる年に対して、今何かを振り返っても時間は戻らない。
でも、あえて書くなら、300日間休まずに検索迷子を続けていたものの、
たぶん、かつてないほど、記録をしにくい日々を過ごしたかもしれない。
2010年は手放しで、幸せだったと言える年にできなかった。


ブログを毎日書くようになり、手帳や日記めいた紙での記録は減った。
それは私的なことをいくらでも書けた。
だけど、ブログでは、たとえその日、その期間、
どんなに自分としては乗り越えがたい心理状況にあっても、
あえてそれを隠すようなことを書き続けていて、
これは果たして、私のために書いているのかと思ったりした。


だけど、つらいことをつらいと書く以上に、
平静を装って、普通の話を書き続けていくことも、
私には切り替えの時間として意味があることだった。
描いた幸せのスタイルになれなかったとしても、
この、どんな気持ちのときでも、ブログを書く時間をとることで、
リセットをするような思いがしてきた。


ペンを持ってだったら、わざわざ書かなかったかもしれない。
でも、ブログだから続けられてきたのだと思う。


何でもいい、どんなことがあってもいい、
カラ元気だっていい、気持ちとは裏腹な話題だっていい、
そうやってブログで書いていることと、
本人のトーンがあっていなかったとしても、
落ち込みの気持ちのまま毎日生きるよりも、
わずかでも、生きている足跡がここにできる。


そして、たぶん、後から読み返しても、
このときの自分はちょっと違ったなと思い返せるのだと思う。


ネガティブな言葉でなくたって、
毎日書き続けることで、気持ちのゆれがわかる。


ブログって不思議だなと思う。
日記だったら、きっと真っ白なページが饒舌に気持ちを語るところを、
文字を書きながらでも、感情の変化がわかるのだと思った。


だから、ものすごく気持ちが揺れている一日でも、
とにかく書き出してみる。
誰かのためではなく、自分のために。



どんな一年だったかと聞かれたら、
こんな一年だったと、この一年近い記録はきっと教えてくれることがあると思う。


自分としては、
いろんなことがあった一年だけど、
よく毎日、何か言葉を書き続けたなと思う。
誰かに愚痴るより、検索迷子という人間になりきって、
ここで負の感情をできるだけ正のエネルギーに変えるよう、
そうやって転化しようと思えただけ、本当にここがあってよかった。



終わった一年は、それはそれ。
迷路から、トンネルから、小道に抜け出す方法くらいはわかったかもしれない。
どんな時間にも意味はある。
どんな場所にも意味はある。


検索迷子だって、きっと何か意味があるんだと思った一年です。


では、また。