出会いも別れもタイミング

こんにちは、検索迷子です。


人や何かに出会うことはタイミングだと思ってきた。
自分が望むとき、不思議と望むものに出会えるものだなと思ってきた。
そういう経験をした人も多いだろう。


最近つくづく思うのは、別れることもタイミングなのだということだ。
人にしても、仕事にしても、あるいは何か取り組んでいたことをやめるにしても、
その人物や物事を自分の人生から切り離すことも、
何かいいタイミングというものがあるのだなと思う。


もしかしたら、出会うこと以上に、別れることのタイミングのほうが、
ターニングポイントとなるのではと思ったりする。


長く交友関係があったけど、なんとなく感性が違ってきたなとか、
長く勤めたけど、今の自分にとっては居心地が悪いなとか、
楽しいと思って続けてきたけど、何かもう惰性になっているなとか、
そういうときは、すぱっとやめてみるといいんだと思うようになった。


特に、一緒に過ごす人を変えるということは思いのほか効果がある。
時間の使い方や、思考の方向性がまるで変わることがある。


私は、自分が人として自分が人に接してもらいたい、
最低限の敬意を払われなくなったとき、
自分という存在が軽んじられているような気持ちになり、
それで自分に自信が持てなくなる。
相手を責めるというより、相手からそういう態度をとられる自分にうんざりする。


こういう思いを溜め込むくらいなら、
その存在を自分の日常から消せばいいんだと思って、
最近は、何かおかしいと思ったら、次第に連絡をとらなくなる。
そして、それはとても快適な時間をくれる。


誰かと別れてもまた誰かと出会う。
いいタイミングで古いものを捨て、新しいものを取り込む。


出会うタイミングは作ろうと思えばいくらでも作れる。
だけど、別れるタイミングには意思が必要だ。
それは痛みを伴うかもしれない。
でも、逃してはならない自分にとって、一番いいタイミングがくる。


失うことより、得られないことのほうがずっとつらい。
停滞しているものに、風を取り込むなら、
今、このタイミングだというときに、終わるという決断はとても重要になる。


不思議なことに、手放したものを後悔することはない。
タイミングを逃さす、自分のまわりの気配を換気するためにも、
人と出会う、人と別れる、何かを断ち切ることって大切な気がする。


そうしたら、新しい人と、新しいものと、新しい環境とで、
また一つずつ始めていける。


それで変わっていけるのだったら、
何かにしがみつくことはないなと思う。


いいタイミングで、全てがうまくいったと、きっと思える。
すぐにではなくても、長い目で見ればきっと。


では、また。