コミュニティを続ける難しさ

こんにちは、検索迷子です。


インターネットが普及してから出会った人たちと、
自然派生的にコミュニティが作られることがある。


何かの学びだったり、興味関心の近さだったりして、
リアルな場で会った主に社外の人と交流が深まることがある。
そして、誰からともなく、メーリングリストソーシャルネットワーク
活用しましょうと声があがり、その世話役を買って出てくれる人がいる。


たとえば、なんとかグループみたいなもので、
フリーソフトを使ったメーリングリストに参加したものは数多くある。
でも、悲しいかな、それは持続性がなかなかない。


よくて数ヶ月は、こまめに書き込む人によって軌道に乗ったかに見える。
でも、追随者が現れなかったり、
ごく少数の人だけの意見交換で終わったりして、
対面で会うこともなくなっているため、
あっという間の廃れてしまう。
そして、メーリングリストもいつしか途絶える。


なぜだろうと思ったら、やはり目的が違う者同士の交流の限界なのかと思う。
サークルのような雰囲気で、わずかな期間は盛り上がっても、
そのあと、よほどのメリットがない限り、
時間を割くことも情報提供し合うこともなくなってくる。
人ってゲンキンだなと思ったりする。
だけど、それが正直な気持ちなのだとも思う。


昔の掲示板や、メーリングリストを時折思い返し、
新しい出会いの場で、またメーリングリストを作りましょうと盛り上がるなか、
少し気持ちが引けてしまうときがある。


参加はするものの、これはどこまでいけるのだろうと考える。
異業種交流とか人脈とか、人は求めてはいるけれど、
実際はごく狭い、仕事上での人間関係に満足していたり、
それでもう日々が充足されていたり、
手一杯だったりするのかもしれない。


目に見えにくい何かを学びあう仲間というのは、短命なものなのだろうか。
目的と意思を持って、コミュニティに意味を持たせて、
続けていくことは本当に至難の業だ。


新しいコミュニティに参加しながら、
このコミュニティはどこまで続くだろうかと思ったりする。


始まりの段階から終わりを予期させるものなら、
参加しないほどクールであればいいのだけど、
なんとなく、それでもこのコミュニティから生まれないものだろうかと、
期待する気持ちだけは捨てたくないなと思う。


仕事以外の場で多くの人と出会い、
それを人脈と言えるレベルに昇華させていける人は、
意外とメーリングリストとかのネット環境ではなく、
すぐ電話できるタイプの人かもしれない。


コミュニティって始めるより、続けることのほうが難しいとつくづく思う。
毎年、いくつものコミュニティが始まり、そして、途絶えていく。
これもまた、一つの縁の形であり、一つの縁が終わる形なのだろうかと思いながら、
それでも、コミュニティをさまよいながら、何かを見つけようとしている。


スタートダッシュで盛り上がるメーリングリストほど、
ちょっとあとが怖かったりする。
コミュニティと呼べるところまで、発展するといいなと思う。
何の強制力もないコミュニティだからこそ、つながる気持ちは、
人の意思そのものが投影されていく。
だから、怖い。
だから、楽しみでもある。


では、また。