過去の自分、未来の自分

こんにちは、検索迷子です。


ときどき、人を過去だけで判断しているなと思うとき、
その人の未来への志向性や可能性を含めて、
現在いるその人への見方は変わらないものだろうかと思う。


評価はいつだって、過去のものでしかない。
新しく生まれ変わろうとしてみたところで、
周囲の偏見があれば、そのチャンスさえやってこない。


過去の発言、過去の仕事、過去に起きた出来事など、
その過去なんて、今とまるで目に見える形でつながっていなくても、
人は過去の情報を頼りに現在のその人を見ている。


たとえば、私は最初にいた会社で、
かなり社会人年数が経ってから、担当役員に言われてびっくりしたことがある。
その役員は新卒の当時の私を知っている。
そして、異動を経てかなり経ってから再びまた一緒に仕事をすることになり、
あるときの評価面談か何かで過去のことを言われた。


新入社員のころ、あれをこうしてこうやってたのが、
今はどうしてこうなんだ?と。
え?と、一瞬固まってしまった。


役員がいう新人時代の話は、新人ならではの無我夢中の要領の悪さも含めて、
ただ必死でがむしゃらなだけの出来事だった。
当然、社会人となって何年も経ち、
もっと短時間で成果を出す方法ができると自負していた。
だけど、それはひたむきさが足りないということだった。
なんとなく、その一言は、同じ人間関係の中では、
過去の自分を含めて評価されるのだとわかった


当時の会社は半年に一度の評価制度だったが、
なぜ、そんな昔のことをと思った。
過去の自分の印象含めて評価だなんて、と。



他にも、過去ちょっとしたことで気持ちの行き違いがあって、
なんとなく根本的なわだかまりを解決しないまま、
無視をするわけでも、仕事をしないわけでもない人と、
あるとき大きな意思の乖離があり、仕事で大きな問題があった。


お互いが、お互いのやり方とはこういうものだろうと過去の出来事から判断していたが、
それぞれ、時間経過とともに仕事の考え方がまるで逆になっていた。
毎日話していても、こんなことがあるのか、
今の当人ではなく、過去のお互いのイメージだけで見ていたのかとはっとした。



さらに、過去というもので、ちょっとやっかいだなと思うのが、
職歴や在職した会社の経験そのものだ。
私は、転職する前や転職後に、過去の社名で、元どこどこの人とか、
これこれのWebサービスを作った人とか、
知名度のあるもので紹介されたり覚えられることが多い。


覚えてもらう程度ならそれでもいいが、
中身自体は、もう未練もなく新しい場所で新たな取り組みをしたいから、
今ここにいるのに、過去が基準値で判断される。
これはとても居心地が悪い。
相手も評価というよりは、軽いキャッチフレーズ的に使っているとわかっていても、
それはもう関係ないんだけどなと思ったりする。



つまり、何が言いたいかというと、
現在から未来へと変化しようとする阻害となるものに、
過去の自分というものがある。
そして、それは他人が勝手につけている。



自分自身も誰かをそうやってみる部分はある。
だけど、年齢も社名も知らないで接してみると、
その人の未来への希望や、個人の特性が浮き彫りになって、
なんとなくものすごく、素で相手を受け入れられる気がする。


過去どうだったかを一度脱ぎ捨てないと、
未来は訪れない。


誰かを見るときも、自分を見せていくときも。



過去のほうがわかりやすいけれど、
過去だけでしか自分を語れないのは、とてもさみしいことだ。


少なくとも、過去より今日のその人個人を受け入れられる、
偏見と先入観を捨てた、
正しい人を見る目を養いたいと思う。


これからなろうとしているもので、人を見たっていいと思う。
そして、自分もそう見られるようになりたい。


では、また。