こんにちは、検索迷子です。
ある専門家が、今の仕事に就いたいきさつを話していた。
その人は、人前で喋る仕事がしたくて、何度かの転職で希望の仕事に就いた。
と思ったら、そこで依頼された仕事といえば、
人前で喋る仕事ではなく、膨大な事務処理の窓口だった。
法改正を前にその道に詳しい人がいなかった時期らしく、
どうやら、その資料や調査を担当するために採用したと、
入社後に知ったという。
なぜこういうことが起きたかと言うと、
過去にとった資格に相手が食いついたということらしかった。
その人は、高度な資格を多数保有しており、
本人としては、むしろその会社への転職時には、省いてもいいくらい、
過去のもので、適性もないと思っていたものらしい。
でも、それを取得から何年も経った今、必要とする人が現れ、
自分にとってはがんばりたい方面とはまるで違うことだが、
いつかは希望する仕事に配置転換があるだろうともくもくとその仕事を続けた。
時間に追われて事務処理をしながら、
その転職の前に懸命にやったトレーニングや学習が、
全く生きないことに気持ちがめげそうになったという。
人前で話す仕事とは無縁で、何をやっているのかと思ったらしい。
そして、数年その仕事をこなし、
やっと現在は当初の念願だった仕事に就いた。
ところが、逆に数年前ほどの熱意が消えてしまったという。
結局その人は、多数の資格があるため、
微妙なキャリアチェンジは何度でも可能になるが、
可能であるゆえに、絞れないというジレンマもあると言っていた。
時期や環境が変わると、少しずつなりたいものも変わるということだ。
その人は、それでもどの道であっても、決して片手間ではなく、
専門家と言われる域まで行っている。
なぜ、そういうことができるのかと聞いたら、
誰かが求める仕事ならば、目標も明確だから取り組みやすいと。
本当のやりたいことや適性は、まだまだ見えないらしい。
複数を組み合わせて、やることも可能だし、
単独でも可能なくらい、使える資格をたくさん保有している人ならではの、
贅沢な悩みだが、それだけ長期間、真剣に学んだことに頭が下がる。
他者から求められるものに、その都度、適応していくというのは、
ある意味正しいのかもしれない。
なりたい、やりたいことを追求するのも自由だが、
自分の持ち味、自分ならではの特徴的な技量は、他者でしか発見できないこともある。
当人が保有資格のなかで、一番苦手ともいえるものをクローズアップされて、
本意ではないと言ったもののそれだって、数パーセントの合格率のもので、
希少価値なのだから。
自分だったら、他者から求められるものに、
まるごと乗っかれるだろうかといまだに考える。
自分で得意だと思うことと、他者が評価してくれることは違う。
それは、なんとなくわかっている。
この割り切り、あるいは合理的な方法で、
自分の可能性の広がり方も変わってくるのだろうか。
難しい決断だなと思う。
では、また。