自分の立ち位置

こんにちは、検索迷子です。


人はコミュニティを形成すると、自然と役割分担ができる。
たとえば、全く初対面で同じ研修に参加したもの同士で、
キャリアも年齢も違う場合でさえも、
数日一緒にいるだけで、なんとなくポジションが決まっていく。


それば、スキルアップ研修のような、
ビジネススキルやリーダーシップを高めるという、
テーマそのものが、ファシリテーターとしての役割だったり、
中堅社員として能力向上のものだったとしてもだ。


今まで以上のスキルを求めて、この場にいるにも関わらず、
他人との相対評価で、自分の立ち位置や落としどころを早々に決めて、
主体的に動かなくなる人もいる。


持ち回りで、議長や書記や発表役を決めたとしても、
うまくするりと回避して、
いつしか同じ人が積極的に表に出ていたりする。


お互い、肩書きや所属などまっさらな状態であるにも関わらず、
皆、それぞれに、集まった人の雰囲気や言動から、
自分のポジションどりをしていく。



不思議だなと思う。
誰も本当はリーダーでもなく、誰も下っ端ではないのに。
まとめ役に自然になってしまう人はさておき、
場にひっそりと参加するだけの人は、本当にもったいないなと思う。
自分のできることをものすごく限定的に考えて、
他にできる人がいるのを見るや否や、その領域には手を出さなくなる。


意外とこういう人は、自分は本当はできるのにチャンスがないとか、
あの人はうまくやっているとか思っているのかもしれない。


でも、一番の壁は、自分が決めてしまう自分の大きさなのだと思う。
今までリーダー役をやったことがなくても、
持ち回りなら、一度くらいやってみてもいいだろうし、
研修ならば発表して恥をかいたところで、何も失わない。


自分の立ち位置を確保してしまうと、もうそれ以上のことはなかなかまわってこない。
安泰かもしれないが、成長も止まる。


小さな変化へのチャンスの芽を見つけたら、
自分の日常での立ち位置を忘れて、
違ったことをやってみたほうがいいなと思う。


特に、日常接している人以外の人と出会えたときこそ、
少し違った自分になれるきっかけになるのだから。
先入観を持たれず、また一から出直せる場だったりするから。


自分の立ち位置が決まってしまうと、
そのコミュニティでは、そこにしかいられなくなる。


殻を破る。
いつもとは違った場所に立ってみる。


変化のチャンスは、行動を変えることでしか生まれない。


他人からどう見られようと、
自分とはこういうものだという縛りから一度開放してみて、
まだまだ変われる余地があるのだということを、楽しみたいと思う。


自分も他人も、同じ立ち位置でしか接することができなくなると、
発見も少なくて退屈になるはずだ。


自分って、そんなにもう出来上がっているのだろうか?


あと少し、違う場所にジャンプできる自分でありたいなと思う。
そして、他の人にもジャンプしてもらえる、
そんな先入観を持たないような余地を残しながら、
コミュニティに参加していたいなと思う。


誰だって、まだまだ、今とは違う何かになれるのだから。


では、また。