慢心による思い込みの怖さ

こんにちは、検索迷子です。


先日、とある場所に行った際、ヒヤリとした。
行き慣れた場所だったのだが、時間に余裕を持って出かけ、
約束の時間まで近くでお茶をして時間をつぶしていた。


そして、時間間際になって立ち上がり、
入口近くに歩き出した瞬間、
あ、場所を間違えたと突如、気がついたのだ。


隣駅の違う場所に向かおうとしていた自分に、
なんとなく違和感があり、
あらためて、書面を見返したら、やはり違っていた。


駅まで引き返す時間も惜しく、
隣駅の正しい場所に走りだした。
ぎりぎり間に合ったが、自分としてはとても動転してしまった。


こういう場所を間違えるという経験をしたことがなく、
慣れている場所だと思って、油断していた。


なぜ思い出したかと言うと、
もともと一緒に行く予定だった人がいて、
その人に場所を説明するために、これが目印ねとメールをしていたのだ。
そのメールを書いた自分のことを、直前になって思い出した。
あ、あの場所じゃないと。


同行者は結局、いけなかったため、
自分一人で行くことになり、緊張感を失くしていたのかもしれない。
それにしても、慢心とはこういうことかと思った。



以前、とある大きな施設に社内の人と数名で出かけた際に、
同僚が、遅刻しますと電話をしてきた。
どこにいるのかと聞いたら、
県が違う、同じような催し物をする施設だった。
数分の遅刻どころではない。


到着した本人に、どうしてそっちに行ったのか聞いたら、
その手の催しをやる場所として、無条件にその会場がインプットされていたという。
そして、なぜ間違いに気づいたかと聞くと、
およそその会場に行きそうにない人たちが駅から歩いていて、
場違いだなと思って、そこで初めて書面を見たという。



また、違うある人は、
海外旅行にいくと長期休暇をとって、準備万端に引継ぎをして、
みんなにお土産よろしくねーと送り出されていた。


なのに、当日出社をしていた。
え?どうしたの?と聞くと、
一週間、出発日を間違えた、、、とのことだった。
幸いにして、翌週だったため、一週間遅れで出かけられたのだが、
スーツケースを持ち、空港に着いたものの、
同行者が現れず、本当に驚いたらしい。
しばらく待ってから、初めて日程表を見て気づいたらしい。



こういう、他の人の失敗談を聞くにつれ、
そんなことってあるのぉーと思ってきた。
でも、自分もそういうことをしてしまうのだと思うと、
ちょっと、ひやりとする。


私の場合、時間が過ぎたら入館できないところだったため、
ぎりぎりのところで間に合ったのだが、人のことは笑えない。


さらに、別の人は、
海外旅行にいくための時間を飛行機の時間から、
ぎりぎりに見積もっていたら、
ツアーにおいていかれて、旅行そのものにいけなかったことがある。
もう、何回も海外にいっているゆえに、時間読みがカツカツすぎたようだ。


慣れてしまう、というのは本当に怖い。
慢心ってこういうことを言うのだと思った。


いずれも、社会人歴が長い人たちで、
仕事はきちんとするようなタイプなのに、
なぜ、こんな間違いをと思うようなエピソードだ。


慣れているものこそ、確認しようと思った出来事だった。
思い込むということ自体が、慢心なのだなと。


書面があるものは、出かける前に必ず見返そうと、
そんな基本的なことをしみじみと思った。


こういう間違いをするひとは、
あらためて、最後のいま一度の確認が足りないのかなと思ったりした。


では、また。