こんにちは、検索迷子です。
今日、ペットと一緒にいたときに、ある人から声をかけられた。
以前、あそこのお店の店頭にいましたよね? 大きくなりましたね、と。
とても驚いた。その人はときどき会うのだが、お互いの名前は知らない。
同じ種類のペットを飼っているため、目礼をしたりはしていた。
私が飼いだして、もう何年も経つ。
なのにその人は、お店にいたときのことをはっきりと覚えていたのだ。
いやー、もううちは一匹いるから、
早くいい人に飼ってもらいなさいねといつも見てたんですよと。
私が飼った種類は、その店頭ではめずらしく、
そのうえ、兄弟で一緒にいたため、通行人が常に足を止めていた。
やがて、兄弟の片割れだけが先に飼われていき、
一匹だけ残った。
動物は、生まれてまだ日が浅いほうが、値段が高い。
一匹だけ残ったほうは、どんどん値が下がっていった。
そして、不思議なことに、二匹いたときよりも、
一匹になってからのほうが、眺めている人が増えた。
特に休日は、入れ替わり立ち代わり、いろんな人が見ていた。
私もその一人だった。
大人になってペットを飼ったことはなく、
ましてや、その種類は全く初めてで、飼うなんて想像もできなかった。
でも、いつも通りかかるたびに、
あ、まだいる。
あ、今日もいる。
早くいい人に飼ってもらいなさいね、
早く幸せになりなさいね、と思っていた。
あるときなどは、
見知らぬ人と、この子大きくなっちゃいましたね、
うん、私も飼いたいんだけど、自営業でだめなんだよね、
ほんと、誰か早く決まんないかね、気になってしょうがないよ、
とお互い、自分たちとは違う人が登場してくれるのを待っていた。
そして、あるとき、店頭からいなくなった。
あー、誰か飼ったのかなと思っていたら、
店内の一押しエリアから、お店に入らないと見えない場所に移っただけだった。
なんだ、まだいい人に出会えないのかとがっかりした。
そして、なぜだか、
私は衝動的に飼ってしまった。
誰かいい人にと思っていたら、私がその子を引き取ることになった。
すると、不思議なことが起こった。
飼って、家に連れて行く日に、道で同じ種類の子に会った。
うきうきして、飼い主さんに話しかけた。
そうしたら、なんとその子の異母兄弟だったのだ。
相手もびっくりしたようで、
ええー、そのかごのなかにいるの、もしかしてあの子ですか?と。
すると、うわー、よかったよかった。
うちでは家族中で、心配してたんですよ。
異母兄弟だから余計に気になって、名前もつけちゃって、
でも、二匹はちょっとと思ってたんですよね。
よかったね、よかったねと。
それから、一年くらい経って、
以前、自営業をやってて飼えないと言っていた人と道で会った。
まったく面識がなかったため、その人とは気づかなかったのだが、
あれー、この子、あのお店にいたでしょー。
うわー、うわー、突然お店からいなくなったから、
処分されたのかと思って心配したよー、
毎日見に行ってたんだよ、いやー、ほんとよかった。
あれ、あなたもしかして、私と話したことない?
あ、そうだよね。お店の前で話したね。
いやー、あなたが飼ったのね。よかったよかった。
なんて幸せなペットなのだろうと思う。
見知らぬ人に、こんなにも、幸せになってほしいと願ってもらえていたなんて。
そして、覚えてもらっていたなんて。
でも、私は思う。
幸せはただ願ってあげるだけじゃだめなんだなと。
自分が、幸せにするために手を差し伸べることが一番大切なのだなと。
願うだけだったら、何に対しても幸せを願える。
だけど、自分がその幸せな時間を作り出すことに、
自分が参加することなのだなと思った。
幸せになりなさいね、と思っていたペットは、
いまや一緒に幸せになろうねと語りかけるパートナーである。
幸せになるために、みんな生まれてきた。
自分以外の存在の幸せは、願うだけではちょっと弱い。
自分にできることは何かないか、
自分だったら、何かできないか、
それは、遠くで見守るくらいでは弱い。
本当に幸せを願う存在は、手をつなぐくらいの距離じゃないとだめなんだと思った。
二十四時間、そのペットの存在を感じることができる自分と、
ときどき、ああ、幸せになったのねと思う人とでは、
喜びの度合いが違う。
幸せになるために生まれ、
幸せにするために生まれたのかなと思う。
いい人に飼われたというのは、どうかなと思うけど、
少なくとも、他の人たちにはできないことを私はできたのかなと思う。
幸せに参加する。
幸せにしようと、日々、努力をする。
何年経っても覚えてもらえるくらい、
いい表情をするその笑顔が、私に最大の幸せをくれる。
幸せを願う存在がいるなら、今すぐ、手放してはいけない。
誰に出会うかで、幸せも変わってくるのだから。
幸せになってほしいと、他人事のように言うくらいなら、
まだ本物じゃない。
私が、幸せにしてあげたいと、ただ願うのではなく行動することがたいせつ。
それが、たいせつな存在ということなのかな。
では、また。