職業観と人生観

こんにちは、検索迷子です。


自分が経験した職種とは、全く異なる経験を持つ人たちと会うと、
自分のそれまでの経験とか、仕事に対する考え方に対して、
ちょっと待てと言われるような思いがすることがある。


職業や、職場とは本当に不思議で、
自分にそうした適性や雰囲気があるから、そこに呼ばれているのか、
それとも、その場にいることによって自己形成されていくのか、
どっちが先なのだろうと考える。


仕事が内勤なのか、外部の人と多く接する仕事なのか、
内部完結型なのか、接客重視型なのかとか、
その性質によって、何に重きをおいて仕事を進めるのか、
考え方やさじ加減も変わる。


たとえば、同じ作業をしても、
だいたいこれくらいという度合いが、仕事の経験によってまるで違う。
それは、個性という度合いとは違う、
職業や職種ごとの許容範囲の違いと言えるレベルだったりする。


え、そんなことを気にするのと思ったり、
逆に、どうしてこれが気にならないのだろうと思ったり。


同じ仕事をしている者同士では、あうんの呼吸でできることも、
他の仕事の経験者では、まったく伝わらないこともある。


ある場所では、仕事ができる人かもしれないし、
ベテランかも知れない人でも、
後輩を指導する立場の人でも、
ホームグラウンドではなく、アウェーになったら、
人としての経験や素が出る。


たまたま職歴や年齢が近い人と一緒に作業をする機会があり、
そこで、別々に生きた同じだけの時間の過ごし方の違いで、
同じものを見ても同じものに見えない不思議さを感じている。


誰が正しいのでも、誰が間違っているのでもない。
皆、それぞれに経験を持ち、一人ひとりが違うのだということがわかるのだ。


そして、仕事とはただお金をもらうためのものではなく、
自分の職業観とか人生観を作り上げるものなのだと、
自分を振り返ったり、人を見ていたりしてつくづく思う。


適当な仕事をしてはいけないなと思う。
いい年齢の重ね方をするためにも、
違う環境で働いてきた人と、共存したり、協力したりするなかで、
自分はいい職業人となってきたのかと、ときどき見つめて、
軌道修正をしていきたいと思う。


似たもの同士のなかで、ぬくぬくと時間を過ごしていては、
何も見えてこない。
濁った水も、いつしか透明に見えてしまうような場所にい続けてはいけない。


自分と似ていない人たちと過ごすことで、
見えてくる自分がある。


私を作ったのは仕事なのか、仕事の場なのか、
仕事仲間なのかはわからないけれど、
総合的に時間が積み重なって、今があるのだと思う。


毎日、同じ人たちと顔を合わせる安心感もいいけれど、
これまでの人生で交差しなかった人たちと接する時間も大切だ。


素の自分になって初めて、
あれ、自分ってこうなんだとわかる。
自分のこだわりと、他者のこだわりの違いを知る。


こういう時間から、自分は何者なのかを知っていく。
強みと弱みと両方に向き合っていく。
アウェーでも、クールでいられる自分らしさを磨こうと思う。


では、また。