こんにちは、検索迷子です。
所用で、とあるおしゃれで有名な街に行った。
もう随分と久しぶりにその駅を使った。
降りてみて、駅から10分ほどの目的地に行く途中、気がついた。
私、この街を歩くのは初めてだと。
以前訪れたときは、駅前にある店舗に数回来ただけだった。
いつしか、その店舗がなくなり、その駅にさえ行かなくなっていた。
なぜ、この街を知っている気になっていたのだろうと思ったら、
メディアの力だった。
雑誌の特集や、テレビ番組のロケ地だったり、
インターネットなどでその地名はひんぱんに目にしていた。
そういえば、この日もモデルさんが冬物を着て撮影をしていた。
どんな話題の店舗があり、芸能人の誰それがどこがお気に入りで、
ということはなぜか知っている。
でも、自分ではまったく訪れていなかったのだ。
街を歩いてみて、自分で体感して、
あれ、こういう街だったのと印象と違うことがあった。
そして、情報って目に見えない分、怖いなと思った。
大きくイメージをはずしていなくても、
自分なりに、情報の断片でイメージを固定化する。
いい印象も、悪い印象も、この断片の総合力なのだ。
別な日、夜によくいく街で早朝に用事があり出向いた。
いつもは夜しか行かないため、街の印象は黒っぽい感じだった。
でも、早朝にいくと、緑が多く、建物の色彩もあり、
人々も健康的に見えて、まったく違った街に見えた。
え、こんなに元気な街だったのと思った。
この感じは、平日しか行かない会社周辺に、休日出勤などで行った際に、
まるで違って見えるものに近いのだろう。
以前いた会社で、Webサービスの公開間近に休日出勤をしたとき、
商業施設が多いその場所は、家族連れであふれていた。
ちょうどチューハイの試飲キャンペーンをやっていて、
サンプルを配布していた。
それで、1本もらって、休日出勤をいいことに会社で飲んだ。
「いつもの会社」のちょっと気が重たい休日出勤が、
これだけで非日常の面白いものになった。
断片的な情報だけで、これはこういうものだと決めてかかってはいけない。
物事は角度を変えると、違う側面を持つ。
自分が知っているその街は、自分が見ている曜日と時間帯だけのもので、
行ったことがある場所も、そのとき限定のものだったりする。
まるですべて知っているように、語ってはいけないなと思う。
そして、情報をうのみにするのも怖いなと思う。
きちんと、自分の目で見たもの、自分で感じたものを語ろうと思った。
誰かにとっては、あそこに行こうねとわくわくするような場所でも、
会社がある場所だ、と今でも思ってしまうところに、
私は退職してから足を踏み入れていない。
普通に、その場所を楽しみに行ってみようかなと思う。
今なら、あのころとまるで違った発見もあるだろう。
では、また。