いま、きみを励ますことば

こんにちは、検索迷子です。


日々に少し疲れ、励まされたい、癒されたいと思っている人に、
言葉と本の力を体感できる一冊をご紹介します。


それが、中村邦生(なかむら・くにお)著、
『いま、きみを励ますことば−感情のレッスン』だ。
ジュニア向け新書のため、それほど難しすぎず、重たい教訓めいたものではない、
やわらかい言葉たちが選ばれている。



著者が「はじめに」で書いている言葉を引用して、本書を紹介する。

 本書は、小説、詩、戯曲、エッセイ、評論などのさまざまなジャンルから全部で60項目の「励まし」に通ずることばを選び出し、その引用文に触発されたいわばミニ・エッセイ集である。
(中略)


「励まし」の意味についても述べておくべきだろう。だれでも経験があるだろうが、あまりに剥き出しの激励のことばは心を動かさない。むしろ人は失意の中にあるとき、明るさや賑やかさよりも、あえてなお暗い物語や歌を求めたりする。これは心理学的には気分の同化作用による自己治癒ということになるらしい。悲しみは、さらにいっそう悲しむことによってのみ癒されるのだろうか。いや、そこまでわざわざ言う必要はないかもしれない。
 しかし、元気が出ないときの心的状態は、例外なく感情にこわばりが生じている。ひたすら気分の一様性に凝り固まり、動けない。したがって、「励まし」とは感情を深く動かすこと、感情のゆるやかな振幅への促しを与えることだろうと思う。内面の運動感覚への刺激と言い換えてもよい。そのために、文学作品に描かれたさまざまな人物たちの感情のドラマに同伴することは、予期した以上の貴い経験になるはずだ。本書がそうした読書体験を導く<感情のレッスン>としての役割を持つことができれば嬉しい限りである。


気分の同化作用というくだりは、
本にしても歌にしても思い当たるふしがあるのではないだろうか。
悲しみにさなかに、悲しみをあおるようなものに触れているというような気がした。


心に残った言葉


本書内で紹介されているもので、印象深かったところは、
まず、「はじめに」でとりあげられていた、J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の次の同じ箇所の対比だ。

野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて
未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある。


同書を『キャッチャー・イン・ザ・ライ』として新訳を行った村上春樹の訳。
未熟なもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ。


また、実際の詩では、次の3編を引用したい。

1章 きみの涙の理由は
待つことは耐えがたいか


何時間待たされても、相手があらわれてくれれば恨めしい思いはあまり残らなかった。いらだちは安心が引き替えてくれたし。待ち呆けたあとの思い−−はどうしたろう。これはどうしようもなかった。待ったんだからいいわ。なるべく自分に言いきかせた。私がいちばんおそれるのは、待つアテのなくなることである。


石垣りん「待つ」


 エッセイ集『ユーモアの鎖国』の中の一篇。(中略)
 詩人は、「詩を書くことも、待つことの一つではなかったかと思う」とも述べている。すなわち、「いつも何かの訪れがあって、こちらに待つ用意があってできたものばかり」だと。
 詩を書きことに限らない。この洞察はあらゆる創造的な営為にあてはまる。待つことは、「何かの訪れ」に向かっての「用意」にほかならない。人生にとって、待つとは忙しい気持ちの空回りとは一線を画した、充実した前向きの時間のことでもあるのだ。だからこそ、「私がいちばんおそれるのは、待つアテのなくなること」に違いない。

2章 人を愛するとき
愛してるって、どういう感じなのかな?


あいしてるって どういうかんじ?
ならんですわって うっとりみつめ
あくびもくしゃみも すてきにみえて
ぺろっとなめたく なっちゃうかんじ


谷川俊太郎「あいしてる」


さらに同氏で、もう一編、「沈黙」の一節が紹介されていた。
「愛し合っている二人は/黙ったまま抱き合う/愛はいつも愛の言葉よりも/小さすぎるか 稀には/大きすぎるので」

6章 自分を信じること
17歳って、ややこしい年齢?


ねこのように
ブルブルブルッてできたら
とってもらくになれるのに


木坂涼「17才」

何かの訪れを待つ、何かを愛する、
もっともっとたくさんの感情のなかで私たちは生きる。
そして、ちょっとだけ休憩したくなる。


そうしたら、
ぶるぶるぶるっとして、らくになる。


動物の動きって、シンプルで、意外にも真似してみるとらくになる。
びろーんとして、伸びーー、とか。


励ましの言葉で心に響きわたるものもいいけど、もっと頭を休めたいときには、
らくになれる動きをするのもなかなかいい。


では、また。