本音は顔に書いてある

こんにちは、検索迷子です。


無意識にとっている行動は、自分の気持ちを映す鏡なのだと、
『本音は顔に書いてある −<言葉の嘘>と<しぐさの本音>の見分け方』
アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ著を読んで、わかった。

本音は顔に書いてある

本音は顔に書いてある

同書を書いたお二人は、全世界でベストセラーとなった、
『話を聞かない男、地図が読めない女』『嘘つき男と泣き虫女』の著者である。

話を聞かない男、地図が読めない女―男脳・女脳が「謎」を解く

話を聞かない男、地図が読めない女―男脳・女脳が「謎」を解く

嘘つき男と泣き虫女

嘘つき男と泣き虫女

新刊もあるようです。上記2冊は既読ですが、こちらは未読です。
機会があれば読みたいと思います。

セックスしたがる男、愛を求める女

セックスしたがる男、愛を求める女


本書では特に、嘘は手と顔に出る、視線の方向で考えていることがわかる、
本音は脚に聞く、などが、なかなか興味深かった。
思い当たるふしがあると思ったのが、以下のところだ。

目は心の羅針盤


 相手が何かを思いだそうとするとき、視線の向きに注目してみよう。その方向によって、相手が思いだそうとしているのが光景なのか、あるいは音や匂い、味覚、触覚なのかわかる。アメリカの心理学者グラインダーとバンドラーが開発したこのテクニックは、神経言語プログラミングNLP)と呼ばれる。
 ものすごく簡単に説明するなら、過去に見たものを思い出そうとするとき、目は上向きになる。音のときは視線が左右どちらかに向いて、耳を傾けるときのように小首をかしげる。感情や気持ちを思いだすときは視線が右下に落ちる。心のなかで誰かに話しかけるときは、反対に左下になる。
 ただしこの動きが現れるのはほんの一瞬だし、ほかの表情や身ぶりといっしょに出ることが多いので、「ライブ」でとらえるのは至難のわざだ。しかしビデオで撮影してじっくり観察すれば、口で言っていることと心のなかで思っていることのずれを見抜ける。


確かに、こういうことを思いだす時、
こっちに視線を向けている見ているなと実感があった。


本書はイラストも多く、眺めるだけでも面白い。
写真も、クリントン元大統領を始めとした政治家、
チャールズ皇太子とダイアナ妃、
ベッカム夫妻、マイケル・ジャクソンなど、著名人の事例も多く、
あのしぐさにはこういう意味があったのかと納得がいく。



最終章には、まとめのテストがあり、
自分の行動を振り返るために、掲載されていたことを引用しておく。

最後に

 ボディランゲージを変えるだけで、人生のいろんなことが変わる−−これは、すでに数多くの研究によって立証されている。落ち込んでいた気分が前向きになり、自信を持って仕事に臨めるようになる。説得力がついて、周囲に好かれるようになる。嘘だと思うなら、ほかの部分は何も変えないで、いつもの身ぶりをひとつだけ変えてみるといい。
(中略)
 ボディランゲージのテクニックを駆使するなんて、作為的で偽善的だという意見もあるだろう。だが、ボディランゲージに習熟して、相手の身ぶりや表情を読みとるのは、自分を印象づけるために洋服を選んだり、言葉づかいに心を砕くのと何ら変わりない。ひとつだけちがいがあるとしたら、服装や話しかたよりも、ボディランゲージを工夫するほうが、はるかに効果が高いということだ。
(中略)
 では、積極的で明るい印象を与えるボディランゲージのポイントを紹介して、この本の締めくくりとしよう。


顔 − 変化に富んだ表情がすべての基本。ときおり歯を見せることも大事。
手ぶり − 手ぶりを加えるときは、あごよりも下の高さで。手の指は閉じておく。腕組みや脚を組むのは、相手とのあいだに壁を築くので慎むように。
頭 − 自分が話すときは、小さく首を動かしながら。相手の話を聴くときは、うつむかないで軽く首をかしげる
視線 − 視線を出しおしみしない。露骨な視線が無礼にあたる地域もあるが、そうでなければ、人は自分をたくさん見てくれる人を信頼するものだ。
姿勢 − 話を聴くときは前のめり、自分が話すときは背筋を伸ばす。
領域 − 自分が不快にならないぎりぎりのところまで相手に近づく。もし相手が後ずさりしたら、追いかけないこと。
ミラーリング − 相手のボディランゲージをまねて、信頼関係を築こう。


私たちは、言葉だけでなく、
ボディランゲージでいろんな無意識な感情を発信していて、
そして、言葉以上に本音を発しているなと本書で実感した。


自分のあんな癖、こんな癖はそういう意味だったのかと再確認して、
自分で知る、自分が気づいていなかった本音もかいま見えた。


そして、ボディランゲージは、人の行動を解読するだけでなく、
自分をどのように他者に見せていくかという技術であるツールで、
活用すべきものなのだということもわかった。
あまり、自分がどういう動きをしているのか、
ぴんとこないところもあるが、何かできることからひとつ、というところだろうか。


では、また。