「なんかヘンだよね…」の意外さ

こんにちは、検索迷子です。


時代の寵児といわれる2人の対談集、
ホリエモン×ひろゆき 語りつくした本音の12時間「なんかヘンだよね…」』
堀江貴文西村博之著をふと思い立って手にしてみた。


一年前に発行された本で、検索迷子としては、
あまりインターネットの世界の中心人物を語るほど、
リアルタイムにその方たちの動向を知らない。
たぶん、はてなの多くの利用者の方たちのほうがよほど詳しいと思う。


お二人に対して、批判や同調をすることも持ち合わせていないほど、
ネットの世界のど真ん中の住人ではない。
リアルタイム性にも欠くため、こうした話題の人物の本を語るのは気が引けていた。


私自身、お二人には面識はないが、別々に、
偶然同じ場所に居合わせたことはある。

広い空間にわずかな時間という程度ですが、場の空気がさーっと変わったり、
そこだけ注目のスポットライトが当たるように、
周りがご本人たちがいるということをすごく意識していた。
それだけ話題の人物であり、話題を作り出すために何かしてくれないかとか、
周りがもの凄く小さな動作に反応することもわかった。


もしかしたら、今も、人づてに紹介してもらい、
会話をすることだって可能なのかもしれない。
でも、そうしないのはたぶん、自分との違いを認めすぎているからなのだろう。


でも、今日はあえてこの本について感想を書こうと思ったのは、
本書を読んで意外性と納得感があったからです。


ご本人たちが手掛けたサービス、
ライドドアや、2ちゃんねるは、お二人の思考のカラーが出ているサービスだった、
あるいはそういう要素があるととても強く思ったのだ。


タイプを分類するのは気が引けるがあえて読後感で言うなら、
堀江貴文さんは、猪突猛進型の勝負師で、行動しながら瞬時に判断する人に見えた。
かといって無謀ではなく、ビジネスの制約条件に対して律儀さがあり、
納期厳守に燃える面があり、目的達成に非常に厳格だ。
そういう攻略するタフな部分を駆使し、
ライブドアという、管理の行き届いた、
インターネットビジネスの縮図である巨大サービスを作った。


対して、西村博之さんは、
俯瞰するバランスに優れて、多角的に考えて、
人の多様性を受け入れる度量がある。管理するというのではなく、
何でも受け入れて、そのなかから必要な人が必要なものを選択する自由、
規制ではなく、緩和のなかから自然派生的に起こることを楽しむセンスがあると思った。


ゆるく考えているのではなく、深く考えるゆえに縛らないのだとわかった。
それが、何でもありと一部で批判される2ちゃんねるを生み出し、
書き込む自由、匿名性でできることの自由な空間を作り出した。


たぶん、このサービスはお二人だからこうなったのだ、と思った。
巨大サービスはそれを持続させるために、
多くの人の意志や努力が反映されていくものだが、
最初の土台を作った人の思いや思想が、そのまま残ることがある。


伝道師ともいえる最初に立ち上げた人の思考回路に影響を受けて、
協力者が集まり、サービスは拡大していく。
そんな姿を私自身、自分が関わったインターネットの片隅で見てきた。


何百人規模でサービスを運営したとしても、
実は核となる1人、あるいは数名が、そのサービスのゆるぎないカラーを作る。
そこに差別化できる要素を注入し、他にはないサービスになる。
似て非なる競合や、追随サービスを振り落とす強さを持つ。
そんなことを、お二人が作ったサービスと著書を見てさらに納得した。


インターネット上にこういうものを作ろう、
あるいは、こういうものを作りたくない、
そういう気持ちをはっきりと持ちながらサービスを作り出すことの大切さ。
お二人は立ち上げたサービスの当事者ではなくなっているものの、
そのブランドは残っている。
そして、ご本人たちからの肩書きからは消えることは当面ない。
なぜなら、その人を象徴するサービスだからなのだ。


どんなに巨大サービスとなって、
多くのスタッフを投入して、持続可能な状態になって、
時間が経過しても、作り出した人の持っている力や思考は息づくと思った。


そのサービスを生み出し、息吹を吹き込み、
ときにそのサービスが中傷されたり、
代表者としての立場で司法と戦うことがあったりと、
いいことも悪いことも引き受け、それでもサービスを継続させてきたのは凄いことだ。


そして、手放すことができた、他人に委譲するに耐えられる状態にあった、
というところまで発展させていったのも、改めて凄いと思う。
分身でありつつ、独立して運営できるほど、
分身でないところまで成長させたということなのだから。


もはや私物ではない、公共のものになっている、
そういう規模のインターネットのサービスは、
ただ技術力を駆使しただけでは作れないのだと思った。
意志を注入し、協力者に意志を伝え続けることによって可能なのだと思った。


お二人の対談を読み、膨大な仲間がいることが伝わってきた。
また、新しいものをいくらでも生み出していくのだろうと思った。
深く考えて行動し、その視点は違えども、
これ面白いね、それいいね、それやろうよ、
こんなのどう、こんなのあるよ、
ちょっと助けてよ、じゃ手伝うよ、
みたいな会話を膨大にして、彼らはサービスを作り、育てたのだろうと想像した。


軽く読める本だと思ったら、意外と深く考えてしまった。
メディアを通して、お二人のことを凄く知っている気になっていたが、
まるで違った面を本書で見た。


私も、広い会場のなかで、お二人に話し掛ける勇気があれば、
何か今違った視界が広がっていただろうか。
そこで、無心になり面白がって声をかけられないことが、凡人ということなのかな。


どんなに情報手段が発達しても、
情報は、曲解してしまうのだといういい例でした。


そして、サービスを作るのは意志ある人間にしかできないのだと。
サービスの持続には、
その意志に賛同してくれる仲間が必要なのだということも。
ただ作り出す瞬発力だけでは、いいサービスは作れないのだということだ。
続けて、使われてこそ意味がある。


では、また。