パワースポットのような場所

こんにちは、検索迷子です。


ある場所に行くと、猛烈に胸が締めつけられて、
全てを丸裸にされるような心理状態になる。


とても大切な場所だけに、
ひんぱんには行かず、でも時折、本当に今の自分でいいのかと、
自分で見えないものを探したくなるとき、ごくたまに出向く。


その場所が目に入ってくるだけで、まっさらになる。
自分に嘘がつけなくなり、忘れていた感情を一気に思い出し、
道端で泣き出したいような気持ちになる。


あまりに、自分にとって磁力が強すぎるため、
弱りきっているときは、逆に現実と理想のギャップがつらくなり、
受け止めきれなくなるため、そういうときには行けない。


でも、力がみなぎりだして、
ここでもう一踏ん張りして、何とか先へ進もうと思うときは、
その磁場の強さを利用して、背中を押してもらうために出向く。


何年ぶりに行ったのかも思い出せない。
行くたびに、この前きたのはいつだったのか、思い出せないくらい、
本当に本当に、ここぞというときにしか行けない。


行こうと思えば、もっと頻繁に行ける場所なのだが、
行こうとする気持ちに自分を上げて行かないと、
そこの場所を汚すような気持ちになる。


宗教がかったものは何もなく、一般の人にとっては、
ごく普通の場所である。
多くの人が行きかう場所で、そこを利用する。
なんてことのないと言われればそれまでの場所だ。


でも、私には思いがありすぎて、そこが何よりも神聖なのだ。


そこで流れる時間、音や匂い、働く人、集う人、
建物そのもの、たたずまいやありようそのもの、
もう何もかもが、心にダイレクトに染みてくる。
五感に訴えるものが私にとって大きい。
静かな場所なのだが、数時間いるだけで、ものすごくエネルギーを使う。
何もかもが、自分にとって響きすぎるのだ。


この感じはなんだろう。
よく言えばパワースポットなのだが、
心のふるさとなのか、精神の実家なのか、
聖地というのか、
にぎやかな商業施設のある地域のなかで、
そこだけが私にとってぽっかりと浮かぶオアシスのような場なのだ。


ほっとできるようであり、
そこに行ったときの、自分の心に嘘はつけないと、
まるでスポーツをした後のような、葛藤が生まれる。
見えすぎるくらい見えてしまうのだ。


そこで誰かと会話するわけでもなく、
ただただ、その場で数時間過ごし、
その場を眺め、
そこで感じたことを反芻する。


好きな場所であり、自分の今の姿がありありと浮き彫りになり、
足を踏み入れるのが怖い場所なのだ。
普段、忘れようとしていることや、
忘れかけていたことを、
一気にうわーっと思い出してしまい、思考が呼吸困難みたいな状態になる。


誰にでもそういう場所があるのかはわからない。
私にとって、ここで過ごした時間が、
明日からの私の活力になってほしいなと思う。


この気持ちに嘘はつけないと気づいたとき、
行動させてくれる、
包まれているようなそんな気持ちになる場所だ。


パワーがあるか、ないか、
残量はどれくらいか、どのくらいチャージすればよいのか、
そんなことも見えてしまう。


今のパワーで乗り切れるだろうか。
このパワーは、どこに向ければよいだろうか。


五感に問いかけてみて、
場の力を借りてみて、
それでも、
動きだせるかどうかは、
自分だけが知っている。


後押しされて、
一歩を踏み出せるかは、最後は自分次第なのだ。


そうやって、いくつもの場面で、
選択が正しかったり、
間違ったりする。


後押しされた好機を、
その場に出向こうとした心理状態を、
行動に変えられる自分かどうかということさえ、
見えてきてしまう。


そして、自分は動くのだろうか。



では、また。