こんにちは、検索迷子です。
誰にでも等しく一日は24時間だ。
どう使うかは、人それぞれで、誰かが誰かの時間をコントロールはできない。
生活スタイルは、ふとしたことで変化が訪れる。
それは仕事だったり、パートナーを得たりだったり、
自分の人生の目標だったり、
そのとき何を優先したいかでまるで異なる。
私自身、この10年を1年単位で考えると、
昨年とまるで同じ状況だったことがまるでない。
2000何年といえば、これをしていたということが、
毎年違っている。
そういう中で、ここ数年で確実に変わったのが、
24時間仕事に時間が割けないということだ。
自分以外の存在に時間をとるため、
その時間だけは明け渡せない。
以前は、新サービスを立ち上げるために、
終電まで会社にいて、
帰宅してからも仕事をしてパソコンの前で寝てしまい、
朝、そのまま会社に行くというのも当たり前だった。
でも、今は同じようにできないなと思う。
だからこそ、生産性を高め、
やらないことを見極め、
何を自分にとって優先順位をあげていくか、
本当に考えるようになった。
24時間仕事ができることは、一時はいいかもしれない。
でも、何年も続けるには、家事をやってくれる人がいたり、
自分だけのことを考えていけば暮らしがまわる、
そういう恵まれた人の特権かもしれない。
そのせいか、
誰かに身の回りのことをやってもらっている人から、
24時間働けみたいなことを言われると、かちんとくる。
それだけでなく、その人が哀れに見える。
人間らしく暮らしているかと問いたくなる。
24時間働かなくても、豊かに生きる道はある。
それをきちんと考えたいと思う。
今日咲いた花、今日見られる笑顔、
今日しかできないこと、今という時代感。
そういうことをとりこぼして、
それで仕事が進んだところで、
心にゆとりがある大人と言えるだろうか。
24時間戦えるうちは戦えばいい。
それはそれで楽しいのだから。
でも、24時間戦わない人を責めてはならない。
ゆっくりと生きて、仕事とプライベートを分けて、
それで、損なわれるものがあったとしても、
得られる喜びのほうが大きい。
モーレツに働くのも、適度に働くのも、
今の年代、これからの自分を見据えて、
自分にとって一番いい時間の使い方があるはずだ。
24時間は、それ以上にもそれ以下にもならない、
誰にとっても平等な贈り物。
自分にどんな時間を贈ってあげながら、生きるか。
では、また。