風景の景

こんにちは、検索迷子です。


写真家、前田真三氏の写真集を見ていると、発見が多い。
写真一枚一枚に、シャッターを押そうとしたいきさつがあり、
思いがあり、ストーリーがある。


前田真三氏の、写真一枚ずつの記録を見たり、
氏の語る、あるいは書き綴った言葉によって、
どんな写真にもその一枚が生まれた背景が宿っていることを知り、
偶然の産物のように見えていた写真には、その一瞬にたどりつく理由があったのだとわかる。


[風景写真]特別編集の『[上撰]前田真三集 完全版』は、
写真だけでなく、その背景や写真作法を含めて読み応えがある一冊だ。



なかでも印象深かったのが、
前田真三の風景写真作法1、「大きな風景」忘れ去られた筆法、
ここで触れられていた次の一文だ。

「風景の景という文字には、雄大とか広大とかいった意味があって、とてつもなく広いところを風が渡っていくさまというのが、風景という言葉の読んだ通りの意味なんです」(『昭和写真・全仕事13前田真三朝日新聞社

この部分の解説では、前田真三のこの風景観と、
昨今の風景写真が異なる方向に進んでいる風潮に触れ、
「大きな風景」=説明的でつまらない風景写真と短絡的に捉え、
絵葉書的などと揶揄する風潮さえ一部にあるとしている。


たしかに、前田真三氏の写真に触れるまでは、風景写真には面白みを感じなかった。
絵葉書的、という表現もまさにぴったりだと思った。


でも、前田真三作品は違う。
雄大で、風が渡る、その大きな風景の良さが伝わるのだ。


先日、美しき美瑛の丘のエントリーでは、美瑛町の写真に注目して書いたが、
この写真集では、前田真三氏が好んだ、長野県上高地、奈良、出身地である八王子市など、
さまざまな土地の表情を見ることができる。


本書の中心となる第2章の風景多彩は、とても見ごたえと読み応えがある構成になっている。
一通り見終わって、改めてタイトルと章立ての見事さ、
特徴を表した適切な用語の使い方などがしっかりしていることがわかる。


先入観で、イメージ先行型の出版物と思っていた写真集というジャンルが、
一人の写真家によって大きく変えられたような気がした。


1994年から1995年までの一年間、隔月刊「風景写真」の連載を再編集したもので、
以下のタイトルから、いかに幅広く自然の写真が掲載されているのかがわかる。
単語は短くとも、本当にその単語のような写真がここにはあるのだ。
タイトルのつけ方が、絶妙である。

風景多彩1 花の意匠
  エッセイ 端正に撮る花
風景多彩2 地の紋様
  エッセイ 小さな冒険
風景多彩3 水の光彩
  エッセイ 美しい水の流れ
風景多彩4 光の彼方
  エッセイ 「遊び心」で撮る
風景多彩5 樹の風貌
  エッセイ 木々の姿を撮る
風景多彩6 旅の山河
  エッセイ 心のふるさとを撮る


写真のシャープさだけでなく、文章として表現すること、
キーワードを持ち込んで伝えていくことが、
総合して写真に力を与えてくれているように思う。


特に、「端正に撮る花」では、
美しさを素直に、そして慈しみの心を持って表現すること、とまず説明をしている。
もちろん、その解説に納得感はあるが、
「端正に撮る」と表す言葉にインパクトが生まれる。
この言葉のセンスと相まって、写真の印象がより鮮烈に残る。


真夏の今の時期は、「水の光彩」で美しい水の流れを見ると、涼感が増しそうです。
水の流れを感じさせる写真というものを私は初めて見ました。
水の流れが美しい、水の流れが見える、冷たさや透明感が伝わる、
そんな写真が多数掲載されています。


自然に包まれるような、風景の景が楽しめる写真集です。


では、また。