サラダ記念日のような一日

こんにちは、検索迷子です。


唐突に、俵万智(たわらまち)さんの短歌、
サラダ記念日が7月何日か気になりだした。


7月だったことはうっすら覚えているけど、さて、何日だっただろう。
・・・と君が言ったからしちがつ××かは、サラダ記念日、
と日付を変えて声に出してみたけど、
ふつか、みっか、よっか、いつか、むいか、なのか、ようか、ここのか、とうか、
あれ?どれでも「か」がつくから、なんとなくそれっぽくてわからなくなった。



サラダ記念日と聞いて、わからない人もいるでしょうから、
ご紹介しますが、短歌集のタイトルであり、
そのタイトルが詠まれた短歌そのもののことです。

俵万智のチョコレートBOX 万智の一人百首 

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日(『サラダ記念日』)

サラダ記念日―俵万智歌集

サラダ記念日―俵万智歌集


ということで、サラダ記念日の答えは、7月6日でした。


実は何日かということに、そんなにこだわる理由はなくて、
なんでもない一日が特別な記念日になる。
普通の時間が特別なものになる、ということに注目しました。


誰かにとって、だだの消化する一日が、明日へのつなぎみたいな一日が、
他の誰かにとって、ごく私的な記念日になることがある。


今日という普通の、ありふれた一日を普通の日から、
特別な忘れがたい、忘れたくない一日にするのは自分の心の持ちようなのだ。


だから、幸せのかけらをとりこぼさないように、
毎日を丁寧に丁寧に、小さな記念日、大きな記念日にできるように、
生きていたいと思った。


7月6日に何か意味があるかは、俵万智さんご自身しか知らない。
一人ひとりが自分にとっての日付を埋め込めれば、
それが一年分、全部何かの記念日になったとしたら、
素晴らしいなと思いました。


こうして一日一日を温かい気持ちにできるよう生きてみたい。
一日は平凡に過ぎていく。でも、光をあてられる。


スペシャルな時間は、降っては来ない。
自分が、すくいとって、今日という一日をスペシャルに変えたい。


この短歌の戦慄は、発売当初のものを変わらない。
むしろ、あらためて読み返すと深くて、せつなくて、
日常的でいて、日常とはかけ離れているようです。


書店にサラダ記念日が平積みされていて、
とりあえず立ち読みでもと手にとった瞬間、
震えるほどに感動をした。
この短歌集は、どうしてここまで、普通の言葉が力強いのかと。


サラダ記念日なんて、
小さな出来事に記念日とは斬新すぎると思ったものの、
自分にも同じような思いあたるふしがある。
今日は何をした日なのか、覚えている自分だけの記念日がある。


私にとっての、サラダ記念日を見つけたい。
あえて、没個性的な日付にしたのかは定かではないが、
何日だっていい。
自分にとっての記念日を見つけられて、楽しめるよう、
小さな幸せを見失わないようにしていたいと思う。


では、また。