自分と他者の時間軸

こんにちは、検索迷子です。


自分と他人の時間軸が違うとき、
コミュニケーションが激しくズレてしまうことがある。


その急ぎって、どれくらいのこと?
他人の急ぎと自分の急ぎがかみ合わないと、
どんなに努力をしても、なんだか外してしまう。


自分が急いでいるつもりでも、相手の要求レベルでは、
牛歩のように見えてしまっては、
せっかくの努力も水の泡となったりする。


なぜ、等しく同じ24時間でこんなに時間は感じ方や、とらえ方が違うのだろう。


週の初めだから早く帰れるかと思いきや、
12時間ぶっ通しの会議で、協力会社さんと終電を気にしながら一緒に走りながら、
あれなんでこんなことに? と何だか訳がわからなくなっていた。
この会議ってもっと短時間で終わるはずだったのでは?と。



毎日、あれもこれも急ぎ、あれもこれも優先、
あれもこれも最重要と、全力疾走を求められる。
私だけにではなく、全員に。他社の方を巻き込んでさえも。


週明け、ある仕事の進捗確認をしていたら、
土日含めて何日間あったのに、これだけ?と問われている人もいた。
え、土日って休日なのに、カウントでありなの、と。
でも、今いるところは、土日も仕事の納期カウントが普通にされる。


皆が必死に乗り越えている姿を見るから、
共に歩めるけど、誰の何のためにこのスケジュールがあるのか、
時間の重みがわからなくなる。


時間は誰にでも平等だけど、
慌てさせられるか、ゆったり歩めるかで、心のゆとりも違う。


同じ成果に向かって走っていても、
こういう時間間隔のズレ、時間軸のとらえかたの違いで、
なんだかまるで違う思いをする。


慌てる人を見ると、自分は冷めて見ていたりしないだろうか。
同じだけ慌てたい者同士はさておき、静かに淡々と時間を過ごしたい人や、
土日は仕事の日ではないライフスタイルの人もたくさんいる。
少なくとも私はそれを強要しないでいたいものです。


私の会社は発注側で夜まではカウントされないけど、
協力会社さんは、不眠で明日の午後までこの仕事をあげてくるのかと、
一緒に走りながら、申し訳ない気持ちになった。


この急ぎ、急ぎ、急ぎの時間の先に、希望という名の光があることを、
本当に願ってしまう。
プロジェクトメンバー一人ひとりのためにも。


では、また。