悩みの賞味期限

こんにちは、検索迷子です。


昨日、膨大なタスクを割り当てられて突破口がないまま、寝付けずに悩んでいた。
朝の通勤時、解決策が見つからず気持ちは重く、逃げ出したい気持ちだった。


さて、どう進めるかと考えながら席に着くなり、
同僚が昨日のあれはこうしたほうがいい、こうやれないかと声をかけてきて、
複数の人と席で簡易なブレストが始まった。
一晩悩んだことが20分くらいで、次なる策が浮かんだ。気持ちも軽くなった。


私に割り当てられられたタスクの重さを見かねて、
それぞれが一晩経ち、アイデアをくれて、
相談したわけではないのに助け舟を出してくれた。


ああ、私は個人としてではなくチームとして働いてるんだと思った。
新サービスのために皆が、役割を分担して、
たまたま昨日は私が難題をかかえていて、
それが動かないと全体が止まると皆が協力を申し出てくれた。


私のタスクは私個人のものではないと、改めて知った。
一人で負担に思い、悩むことはなかったんだと、
逃げずに会社に足を向けて良かったと思った。


悩みがあるとき、発散して解決するタイプではなく、一人で考えることが多い。
でも、こんなにすぐに解決するなら、人にどんどん話せばいいのだと思った。


悩みの賞味期限は短いほうがいい。
対策が一つ浮かぶだけで、一歩前進できる。
行動を起こさないで、同じ地点でもんもんとするくらいなら、何か進めたほうがいい。
悩むにしても悩みの締め切りを区切り、次に行こうとだんだん思うようになってきた。


チームで解決できることの多さと、個人で解決できることの少なさの対比が、
自分の問題解決のスタイルを変えてきている。
それだけ、日々いろんな乗り越えがたい課題を、チームで解決してきている。


仕事が忙しいとつくづく思うのが、
忙しい時ほど、どんどん無理難題が降ってきて、
悩んでいる暇がなく自転車操業のように動かなければならないということだ。


一つ悩んでいるうちに、ところてんのようにどんどん新しい案件がやってきて、
いつの間にか、その前の悩みごとは些細な過去になり、
他のことに忙殺されているうちに気付いたら解決していることが増えた。


だから、長い期間同じことで悩んでいたら、
私は暇で、解決力もなくて、変化していないサインだと思うようになってきた。


立ち止まり、うずくまったまま悩まないで、
玉を転がすように事態を変化させよう。そうすれば、突破口は見えるんだ。


自分と他人の仕事を分け隔てなく考えて、一緒にサービスを作る、
同じ目的に向かう仲間に救われる思いがする。
一緒に悩みを分け合ってもらい、一緒に解決すればいいと思えるようになってきた。


気がつけば、重たいタスクを持っているのは私だけではない。
誰もが忙しく、誰もが背伸びが必要なほどの難しいことをこなし、
乗り越えている姿を見る。
新しいサービスを立ち上げる忙しさのなかで、
私たちはこうして、一人ひとりが底上げされて、全体の底辺もあがっている。


私だけができないことをやっているわけではなく、皆同じくしんどいのだ。
そう思うと、世界中の悩み事を自分だけが持っているような悲壮感ではなく、
なんとかなるさと、楽観的になりたいものだと思うようになってきた。


なんとかならないなら、なんとかする方法を知恵を出し合い、編み出す。
それがいいプロジェクトなのだと思う。


悩みの賞味期限は短ければ短いほうがいい。
そして、同じ悩むなら、昨日よりももっと難題であれば、
昨日よりパワーアップした自分を喜び、
果敢に挑んでいけるタフな自分でありたいと思う。


では、また。


追伸
EVERNOTEを使い始めて5日めですが、本当にブログのアップが楽になりました。
時間がとれないと悩んでいたのが嘘のように、
通勤電車内が有効な下書き時間になっています。