ブログを始めて生まれた責任

こんにちは、検索迷子です。


ちょうど一年前の今頃、私はブログを開設するか何日も悩んでいた。
開設は数分でできるのはわかっていた。
そんな技術的なことではなく、書く内容が続くか、一定レベルで書けるか、
正直自信がなかったからだ。


幸い時間は十分あったので、準備期間を経て開設をした。
毎日、ブログを書くのに数時間も使って推敲を重ねてアップしていた。


そして、一年経ったここ最近、今は平均的に5分しか使えない。
でも、3か月位無休でブログを書いている。


その間に転職し、仕事の中身や求められることが大幅に変わり、
一日の労働時間が朝は2時間早く、夜は3時間遅くと以前の1.5倍になった。


仕事の環境も変わり、小規模で完結が可能な閉じた単一の仕事から、
別々の役員プロジェクトに複数参加して、開いた仕事が求められるようになった。


名刺を追加発注して、わずか2か月で200枚が減っていたことに気づいた。
その方たち全員と新しいWebサービスを作る準備をしている。


一日の自分の時間がほとんどなくなったなか、
でも、ブログは生活の定着し、短時間で書けるようになった。
なぜかと考えたら、たぶん、一日で膨大な人と話をすることが大きいのだとわかった。
多くの出来事が一日で起こり、書く内容に困らなくなった。


ただし、内容的には濃いとは言えず、こんなブログでいいのかなと思い、
ときどき、検索迷子を閉じてしまいたい気持ちにすらなる。


一年近くやってみてわかったのは、
一度発信したブログ、そこでの情報は、もはや受け手のものだということだ。
書いたのは私でも、インターネットで公開されている以上、
誰かが検索し、誰かがどこかで引用している。
私が検索迷子をやめるだけでも、せっかく引用してくれている人を裏切り、
リンク切れを起こすことになる。


何よりも、他のサイトで知れなかったことを、
検索迷子で知れて、漂流してきてくれたのだと思うと、
ここにあるわずかな文字でも、誰かのお役に立ててるんだと思う。


ブログを開設したら、インターネットという場所での責任が生まれる。
一度始めたものは、可能な限りやめてはいけない。
読み手に必要とされる以上、それがたった一人でも情報として有効なのだ。


と、また睡眠時間を削って書いてしまいました。
これを、後日誰かが読んで参考にしてくれるのかもしれないと思いつつ、
今日も駄文だなと葛藤しつつ。


でも、続けることが苦ではなくなったことが、意外な発見です。
なんでもいい、書けばいい、
その一日の積み重ねが連続になるのだと思うと、気負わずに書けます。
書いて、書いて、書いていくことで、誰かに求められる。
それは、小さいようで大きな責任になるのだと思いました。


では、また。