橋をかけることが、ラポール

こんにちは、検索迷子です。


ほぼ毎日、初対面の方と会い、会ってすぐに仕事の打ち合わせに入ることが増えた。
社外の人も多いが、社内の人も多い。


数ヶ月前までは、毎日同じ顔ぶれで、なかば辟易していたことが嘘のようで、
今は、初めましての挨拶もそこそこに、
では早速この件でと打ち合わせや共同作業に入ることが多い。


毎日同じ人と座り仕事をしているときは、全く気がつかなかったのだが、
自分は人から共感を得るために、橋を架けることが比較的得意だとわかった。


話を始めたばかりのとき、相手が怪訝そうな顔をしていても、
その場が終わるころには、必ずその仕事の意図を理解してもらえ、
仕事がスムーズに進む予感がする。


これは、個人的に仲良くなるということとは違う。
なぜなら、私的な会話はまるで関係ないからだ。


仕事において共感が得られて、仕事の成果を出すために、
相手が最高のパフォーマンスを発揮してくれる。
相手の表情が会議の前後で変わっているのがありありとわかる。


この状態は何だろうとずっと思っていたのだが、
ラポール、ってこのことなのだろうかと最近思うようになった。
ラポールという用語は以前から知っていたが、
ラポール=橋をかける、という程度の認識だった。

コトバンク - ラポール


橋をかける、共感を得る、心がつながる。
この感覚がラポールなら、私はたぶん、それを無意識に行ってきた。


あるイベントでは、社内の応援スタッフは日ごとに全員入れ替わり、
朝は、皆、緊張した面持ちだった。
でも、目標を共有しあって、一緒に一日働き、座る間も休憩する間もなく、
それぞれが自分の持ち場でとにかく忙しく働き回ると、
一日の終わりには、お菓子や飲み物を前になごやかに反省会を円陣で行っていたりする。


反省会をする予定はなかったのだが、全員が、ここはこうだった、
あそこはああしたかったと、高揚した気持ちをシェアしたくなるようだった。


私がインカムでお客様に語りかける言葉を聞きながら、
メンバーは、間接的に場の意味を理解したり、自分の持ち場の重要性をわかったりして、
頼んだこと以上の仕事を自発的に行うようになってくれた。


私がお客様と橋をかけようとする声を聞きながら、
スタッフは、私と自分の橋をかけてくれた。
そして、自分とお客様にも橋をかける努力をしていた。
朝は照れた様子の声掛けが、午後には、夢中での前のめりでの声掛けになっていた。


これがラポールだ、橋が架かっている状態だと、思うと心がとても温かくなる。


初対面だろうが、数時間だろうが、心を通わせることができる人はいる。
橋がかかる、共感が得られることもある。


その反対に、毎日一緒にいて数年過ごしても、まるで心が通わない人もいる。
目的が共有されていることの差なのかもしれない。
組織としてのミッションや、明確な目標があるかないか、ということも大きい。


思えば、ラポールをまるで感じていない場所では、
私自身も何とも橋がかかっていなかった。
だから、橋をかけようと思うこともなかったし、共感しあうことをあきらめていた。


一緒に見る夢や、一緒に描く未来があるかないかで、
ラポールが生まれるかどうかが変わるのかもしれない。


ラポールが生まれない場、ラポールを実感できない場だと思ったら、
さっさと環境を変えたほうが自分にとってはいいのだということも、
ありありとわかるようになってきた。


では、また。