インターネットだけが手段なのか

こんにちは、検索迷子です。


イベントに連日参加し、数千名の方たちと接した。
インカムを使って語りかけながら、
今までに感じたことのないような思いにとらわれた。


ずっと、対面でお客様に接してこない状態で、情報を提供する仕事をしてきた。
黒子のように、お客様が使いたい時だけ、使いたいように情報を見てもらったり、
インターネット上での機能を使ってもらうことだけを考えてきた。


でも、来場されたお客様の大半は、
ターゲットではあるものの、インターネットのヘビーユーザーとは程遠い方が多かった。
情報としては求められている、でも、インターネットという手段では、
その方たちの手元に情報は届かないかもしれないという気持ちになった。


最近、他のメディアの方たちと会い、名刺交換をしたりする機会が増えている。
そういう方たちとビジネスとしての提携を考える傍ら、
私自身、インターネットを核に据えて、情報発信を行うことだけが、
本当に正しい姿なのかと問いかける機会が増えた。


イベントでは、
アンケートをフォームがあるデジタルデータで集めたかったにも関わらず、
インターネット利用が決して容易ではない層を目の当たりにして、
紙で収集することに切り替えた。


アナログが一番手堅いという現実に、
私は誰の方向を見ながら、Webサービスの情報を加工していくのだろう、
納得できるWebサイトを作ったところで、
この二日間で会った方たちは使っていただけないかもしれない、
そう思うと心が引き裂かれそうになるほど、つらい。


ただ統計処理のためにデータがほしかったのではなく、
情報を求めている人たちが集う場で、
情報のより良い提供方法を考えるための時間だった。


収集数が先日の倍は集まり、目標数を大幅に上回り、
スタッフともども、歓声と拍手で笑顔で集合写真を撮影し、一日の打ち上げをした。


膨大にたまった紙のアンケートを前に、
指が切れそうになりながら、数を一枚一枚数えながら、
このアナログな作業の先に、今すぐに必要な対処方法、情報のあり方は、
インターネットではないかもしれないと思った。


使える人だけのWebサービスなど、いくらユーザビリティを検討しても、
自己満足に過ぎない。


Webサービスの可否よりも、その手前で、
もっと根本的にインターネットの利用の仕方が違うという壁の高さを見てしまった。


スタッフと一日の終わりに撮った集合写真で、私は笑っていただろうか。


技術力でもデザイン性でも、クリエイティブ面でも、文体でもない。
何か、大事なことを見落としている気がしてならない。


それがどんな情報発信の形かは、これから考え続けていくことになりそうだ。


インカムで語りかけず、ひざまずいて、もっと一人ひとりに時間をかけたほうがよかったのかもしれない。


量を採取しようとするあまり、質はどうなのだろうか。


インターネットの可能性と、限界のような歯がゆさと、同じ日に何度も考えた一日でした。


立ちっぱなしの足のだるさよりも、もっと気持ちは重たい。
でも、立ち止まるわけにはいかない。


では、また。