こんにちは、検索迷子です。
さまざまな経歴をもった人と仕事の話をしていると、
議論が白熱するに従い、必ず誰かが言う一言がある。
普通はこうでしょ。
そのやり方はおかしいでしょ。
この一言を聞くと、ああ、困ったなぁと思う。
全体が合意の空気ならいいのだが、
え?それが普通なの?という困惑が全体を包み、
主張している当人だけが、普通はこうだと連呼する。
それは、開発手法だったり、仕事の手順だったり、
会議の進め方だったり、問題の解決方法だったり、
その中身はまちまちで、
場合によっては、鍋や焼肉の食べ物の食べ方だって、
何だってこの一言は場に水をさす一言だと思う。
普通って何でしょう?
たとえば、開発手法一つとっても、基本的な手法はあります。
でも、その手法を実際にその会社のやり方や、
その会社のメンバーが実施したとき、どこかにオリジナルが生まれます。
要因は、人だったり、資金面だったり、ハード面だったり、
挙げればきりがありません。
私は複数の会社を経験してきましたが、同じ社内においてでさえ、
メンバーが変われば仕事の仕方が違う経験をしてきました。
だから、普通はこうでしょ、と人に言うことはなかなかできません。
その手法はこういうものという知識を体系的に学んできたことは、
普通が何かを知っていることもあります。
だから、その人のいわんとする普通が何かはわかります。
でも、同時にそれを普通だと知らない人たちもわかります。
体系的に学ぶ以前の、無知だった私の気持ちを忘れていないからです。
多くの人は、自分が見たことのあるやり方が、普通だと思ってしまうのです。
どっちも自分がやってきたことが普通だと、思って譲らないとしたら、
悲劇が起きます。
私はこういうとき、
その会社のベーシックな慣習を知る努力から始めます。
いわゆる教科書的な普通といわれることを、
そのまま実践しているところがあったとしたら、それは奇跡に近いと思うからです。
自分が見てきたやり方のほうがいいと思うときは、
私が経験してきたことはこうだったという前置きをして、
その場その場にあった提案や確認をしてきました。
それを、恐れることなく、自分の経験だけで、
普通はこうでしょと言い切れるのは、ある意味すごいことだと思います。
でも、こういう言い方をする人は少なからずいます。
普通はこうでしょ、で、場が凍りついたとき、
私は、一般的にはそれは間違ってないけれど、
違うやり方で仕事をやってきて、それが標準になっているこの場を否定しないよう、
できるだけ双方に、自分たちは違う経験をしてきたと、
相手を認め合うスタートラインに立ってもらうよう、話をします。
このとき、普通はこうでしょという人が一番、頑固で意見を変えません。
普通はこうだと否定された側のほうが、
あれ、自分のやり方は違うのかと謙虚に受け止めることが多いからです。
でも、違うと思ったら、できるだけことを荒立てないよう、
口にすることをおすすめします。
そのとき言わないと、相手は普通はこうを連発し、
どこかでそのズレが大きくなるからです。
たとえば、検索エンジンの使い方一つとっても、
ヤフーを使うか、グーグルを使うかで、その人の検索体験は異なると思います。
それを、普通、検索結果ってこうだよねと話をしたとき、
同じものを話していることになるでしょうか。
同じ単語でも、利用体験は違います。
誰にとっても共通項となる普通なんて、そんなにないのです。
だから、せめて、普通はと言いたくなったら、
自分目線の普通なのか、以前の職場の普通なのか、手法の一般論なのか、
他の人にとっては普通ではないということを受け入れるところから、
お互いの理解程度を確認しあうことが大切だと思っています。
普通なんて私は、ないと思っています。
へたをしたら、それを普通だと思っている自分が異端だったりする場所もあるのです。
同じ単語で、違う見解だと気づいたら、
普通はと主張するまえに、相手の普通を知る努力をしたいものです。
では、また。