つながる、つながるSNS

こんにちは、検索迷子です。


お世話になった先生が、教授に昇進したという嬉しいニュースが飛び込んできた。
同じゼミ生の仲間から、お祝いを一緒にしましょうと言われた。


私は、大学のゼミで一緒に学んだ人たちとともに、SNSで交流を続けている。
基本的には現役の卒論指導を受けている学生さんが中心の場のため、最近では年に数回しか書き込みをしない。


あるとき、私がご指名で呼ばれていた。
そのゼミを牽引した初期の立役者だから、絶対にお祝いに参加してもらいたい、
どうしてますか?お返事くださいとコールされた。


久々にSNSに書き込みをしたら、多くの人たちが、私にコンタクトを求めてきた。


つらくなったとき、何度も私が過去に書いたことを読み返し、
私から語りかけられているかのように、
がんばろうって思ってたんですよと言ってくれた人もいた。


私はそこにリアルタイムに登場していないが、
現役で学ぶ人にとっては、過去の私の書き込みが、
今の自分たちにとって意味のある、卒論に挫折しそうになったときの、
最大限の励みになっているといわれた。


このSNSに参加する以前、私はSNSサービスの仕組みや、
人間関係の距離感などがあまり好きではなかった。


でも、同じ卒業というゴールに向かったとき、
それまで、何一つインターネット上で行動しなかった自分が嘘のように、
ひたすら、卒業までの葛藤や、成功事例などを書いてきた。
私が牽引したから、その年は卒業生を多く出せたといわれるほどに。


SNSという形式は使いやすいのは当然のことだが、
そのとき、その瞬間の交流のためのリアルタイムのツールだと思っていた。


だから過去に書いた言葉は、書いた当人からするとまるで他人のようだ。
でも、それで、いい。
過去だっていい。
他の人たちが、今を突き進むために、過去の誰かのどんな言葉だって、
一歩を踏み出す言葉になるんだと思った。


正直なところ、現役でSNSに毎日何度も書き込みをしているころ、
反応がないこともあり、私一人で盛り上がってるのかな?と思っていました。
でも、その私の書き込みを卒論の仕上げの心の支えとして、
ずっと読んでいたと後から何人にも言われて驚いた。


ああ、そうだったのか。
発信はできないけど、読むことだけでも、このSNSは人の居場所になり、
心のよりどころになるのだと思った。


記録し続けることに意味があるのだと思った。
どんな気持ちだって、出来事だって、書いてあればいつか、
その言葉は誰かのために役に立つのだ。


人を大切にする気持ちを見失わないよう、前に進むこと、
書くことによって得られる新しい経験を大切にしよう。
それを自分のためだけでなく、書き続けようと思った。
表面に見える反応だけでなく、水面下で、楽しみにして読んでくれている人がいるのだ。


SNSを書くことは、それまでは自分のためだったり、
反応を待っていながら書いていたけど、リアルタイムで反応がなくても、
じわじわ効いてくるツールだと割り切るようにした。


仲間が私を必要としてくれたように、私も人をもっと信じながら、
SNSという一見閉じた世界、でも開かれた世界にいようと思う。


SNSで伝え続けることは、本当に大切にしたいものです。
今日のアクセスされる文章だけでなく、
誰かの心に、いつか届くなら、文字にし続けようと思います。


コールしてもらえる、尊重される立場になり、
くすぐったいような、晴れがましいような気持ちです。


つながるSNSは、人に会わなくても、過去の私が代弁者になっている。
書き続け、発信し続け、可能な限り辞めないでいようと思いました。


今日つながるだけでなく、未来のいつか、
知らない人が、私と繋がろうとしてくれる。
私の言葉を支えとしてくれている。


今、つながる。いつか、つながる。
SNSの凄さを実感しました。



では、また。