好意も無関心も伝播する

こんにちは、検索迷子です。


先月、同僚の二人が誕生日を迎えた。
その日の当人は、一日中、会話の端々に今日誕生日だよねー、
おめでとうと、上司からも他部署の人からも、ことあるごとに声がかかっていた。
お祝いメールが社内からも、他社の人からも届いていたようだった。


チームは、誕生日には近隣の高級パティスリーで、
その人のイメージにあったケーキをチョイスして、
全員でフォークでじかに突っついて食べる習慣があるようだった。


上品なケーキゆえに、一人ひとりカットするほど大きくないのもあるが、
全員で輪になって、仕事の手を止めて、一緒に集まって笑いながら、
直接ホールケーキを食べるというのが新鮮だった。


私は、ラズベリーを食べるーとか、これ食べたいとか、
食べたいデコレーションを申請したりして、
ケーキ一つでもおおいに会話が盛り上がる。
あったかいお誕生日会だなと思った。
誕生日一つで、ここまで繋がれるなんていいなと思った。



ふと思い出したが、
過去二社でコミュニケーションが悪いと思ったとき、
私はお誕生日会をチームで取り入れた。


一社目はとても成功した。
ビジネスライクなチームだったのが、一体感につながった。


フロアが膨大に広く、チームメンバーといっても、
日ごろはメールかメッセンジャーなど、
移動するだけで大変な会社だったのだが、
お誕生日のときだけは、仕事の手を止めて私のいるフロアまで全員集合してもらった。


ただこれだけのことだったが、
ミーティング以外で仕事の話題以外を話すことがなかったメンバーは、
当初ぎこちなく、会話も目線をあわせずもじもじしていた。


数回行ううちに、サービスの人気度もあがり、
新たにメンバーを採用したため、だんだんメンバーも増えていった。
それでも、このお誕生日会があったから、チームは和やかな空気になり、
新しい人をスムーズに受け入れられる土台もできた。


そして、チームの結束力も高まり、
新しい機能をなぜやりたいのかと説明するときに、反発されるより先に、
対話を大切するようになっていった。


自分たちが作っているものは、お客様の幸せににつながるのだと、
自分たちが世の中に提供するものに対する思いも伝わりやすくなった。
チームの結束力がそのままサービスに反映されるかのごとく、
仲がいいチームだと社内で言われ、そのチームに行きたいとさえ、
社内に言ってくれる人が現れた。


毎回有名店のケーキを買って、ケーキカットをその場でして、
手渡しで配り、温かい紅茶を毎回わざわざいれていた。
チーム全員で一緒にケータイで写真撮影をして、笑いあった。
最後は、今度は誰だっけ?と話をしながら、
自分の番がくるのを皆、心待ちにするようになった。


次の会社では、儀礼的で心がまるでこもってなかった。
始めてみたものの、そんなことのためにお金をカンパしたくないという人もいたり、
食べることに興味がない人も多く、
個包装の毎回同じものを当番の担当者が買いに行き、
席でパソコンを前に各自が食べる味気ないものだった。


そして、最悪なことに、私は発案者で運営者であったのだが、
それを当番制として引き継いだ後、
あるとき、自分だけが飛ばされて忘れられてしまった。


自分のことだから、自分からは言い出しにくい。
忘れられたことより、一人ひとりの順番がまわっていて、
忘れた人や、飛ばした人がいないかという心配りがないことが悲しかった。


誰でも見られる場所に誕生日は記載されていたが、
誰も、私を飛ばしたことにさえ気づかなかった。
辞めるときまで誰も気づいていなかった。


小さなことだが、これは私に組織への帰属意識を失わせる一つになった。
当時、私は部下が複数いる立場だった。
なのに、誰一人としてそんな自分に配慮がなかったのが痛いと思った。


でも気がつけば、私も同様に、メンバーへの興味がまるでなかった。
後半、辞めることをじわじわと考え出してからは、
一緒に仕事をしている人の名前すらど忘れするようになった。
チームが同じなだけで、一緒に仕事をしている意識をもてなかったからだ。


わずかワンフロアで全従業員が見渡せる会社だったが、
名前が出てこない社員も多かった。
一緒に長期間会議に出ていて、何をしているかまるで知らない人もいた。
誰がどの雇用形態なのか、後半は全く関心を持てなかった。


どうせ辞めるのだから関心を持っても仕方ないと、
心に完全に鍵がかかっていた。
誰かと誰かがつきあってると聞いても、それって誰?と思う始末だった。


つい先日、その会社の人に偶然駅で会ったのだが、
名前が出てこなかった。
同じサービスの他の部署だったはずの人が、である。


私自身、こんなに人に興味を持てなくなって、大丈夫か?と正直思った。
けれど、自分は人に興味があったのだと最近、思い出させてもらっている。
転職して新しい数十名のメンバーと出会い、
今ではニックネームも、氏名のフルネームもわかる。


もっと言えば、他部署の人の氏名も、外部パートナーさんも、
日々たくさんの初対面の人に会うのだが、人の名前を真剣に覚えている。
そして、会うなり、ぐっと距離を縮めるように、
新しいサービスへの協力を仰ぎ、とてもよく会話をするので、
名前を覚えるのが苦にならない。


名前を覚えない、誕生日や記念となる日を忘れるというのは、
無関心がさせることなのだと改めて思った。


今いるところは、人に興味がある人が多く、
私が面接数回で話したことを、社長が知っていたり、
メンバーが知っていたりと、事前に私は何者かをとても情報開示されていた。


こんな人がくるよ、こんなこと喋ってたよ、こんなライフスタイルみたいだよと、
入社前から私は興味が持たれていた。
初日から、何人もの人が話しかけてくれて、挨拶をしてくれた。


さらに、事業部全体にした挨拶を他のチームの人が覚えていて、
こういう話題してましたよねと、数週間後に話し掛けてくれる人もいた。
ああ、興味をもたれるってこういうことかと思った。
自分はここの一員として認知されているのだなと。


こういうのは、個人個人で違うと思ってきたけれど、
組織の風土によるところが大きいのかもしれない。
ちょっと話すと、すぐ突っ込みが入ったり、
男女問わずに着ているものの雰囲気が違うと声をかけたり、
とにかく、人を毎日見る、人と会話をすることを大切にしている。


当たり前のことだけど、
自分が好意を持っていない人からは、好意を持たれず、
自分が無関心な人からは、関心を持たれないということがわかった。


思いの濃さは伝播する。
無関心も伝播する。
自分が人に接したようにしか、自分も人に接されず、
自分が大切に思わなければ、自分も大切に思われない。


私が誕生日を忘れられたのも、
私がきっとその人たちに何もしてこなかったゆえのことだろう。
一日何度もミーティングをして、話してきたつもりが、
何も話してこなかったのだと思った。


話したことが伝わらないのも当然だと思った。
そもそも、お互いに関心がなかったのだから。


私は、自分が心を込めないで人と会話をしてきた期間、
人に関心を持たないようにしてきた。
そんな雰囲気でいい仕事などできるわけもなかった。
氷のように冷たい心になるわけだと思った。


ケーキを円陣でつつきながら、
こういうわずかな時間で人の距離感が縮まり、
チームの一員として認知されていることが嬉しいと思った。


そういえば、私の歓迎会は、
一緒に仕事をする予定の他部署の人もご招待して、
参加してくれる人が多かった。
その時は気がつかなかったけれど、声をかけてくれた同僚も、
来てくれた人も、どっちもありがたいなと思った。


そこでお誕生日をしてもらえるまで、がんばろうと思いました。


では、また。