百、恵む存在になる

こんにちは、検索迷子です。


検索迷子を始めて、今日で100回目となりました。
数日前のエントリー、次の電信柱まで走るでも書きましたが、
はてな市民の銀メダルがこれでもらえます。


小さな目標が達成できて、まずは一安心です。


2009年7月1日に検索迷子を始めたときは、
100回も続くなんて想像もできませんでした。


始める前は、ずっとブログをやりたいと思っていたものの、
インターネット上に自分の存在を残していく怖さがありました。
6月に入ってから何週間も迷い、
最後はブログ開設日を決めて、逆算して絶対に始めようと決めました。


なぜ、ブログを書き始めたかったか。
それは、人生を変えたかったからです。


Webサービスの作り手とは無縁の場所で、自分の肌に合わない仕事をしていました。
お客様のまるで見えない、自分にとって興味の持てないジャンルの仕事で、
いくら仕事と割り切っていても閉塞感がある日々を過ごしていました。


どんなに前向きに何かに取り組んでも、
ありがとうと言われたことは一度もなく、お客様がまるで見えないことをしていました。
自分の人生にとって全く必要がないうえに、
消費者として買えないものを作っていたため、
その会社で作っていたものを使ったことさえありませんでした。


物づくりとお客様の幸せを願いたいと思いつつ、
ひとりだけ声をあげても、空を切る感じでした。
使い方がわからない、使いにくいと言っても、放置され続け、
イデアを出しても、他社の経験を話されると不快だと役員が言う始末でした。


共感してくれる人もなく、ただ上が言った通りにやればいいといった、
血の通わない仕事、仕事を人生の中心として楽しめない空気が、
蔓延してどんよりとしていた、笑顔のまるでない場所でした。


心が折れそうになるほど、物づくりとは無縁の場所でした。
サービスのために言いたいことや、言わなければならないことも、
どうせ聞いてもらえないと、いつしか口を閉ざすようになり、
心も閉ざしていきました。


お客様の幸せに、自分のアイデアを言えないことは、
検索迷子にとってとてもつらいことでした。
このままでは自分はだめになると思いました。


再びWebサービスの作り手になりたい、でもすぐには転職できそうにない、
ならば、今できる準備は何かと考えて、
ブログ必須の会社が応募候補にあがり、
定量をためて、履歴書と一緒に出せるようになりたいと思いました。


とはいえ、書き出す決意をするまで、何を書くか悩んでいました。


開設することが機能としては簡単にできるとわかっていても、
継続できるのかまるで自信がありませんでした。


インターネットの世界に、自分が書き手として登場していいのか迷いもありました。
自分が書くものや、考えることに価値はないかもしれない、
雑文を垂れ流すだけかもしれないと、内容にも不安がありました。


また、ブログを書いたこともなく、誰かのブログを読むことも当時は、
ほとんどありませんでした。
書く存在として、どういう立ち位置でいればいいのかも、
まるでわからなかったのです。


そして、最大の難関は、書く手段そのものでした。
ホームページを作ったこともなく、何の知識もありませんでした。
ブログは簡単とは言うものの、体裁を整えるためには、
最低限知らなければならないことがあります。


でも、はてな記法もわからず、
本を紹介したくてもどうしていいかわからず、
画像の貼り方も、ハイパーリンクもできませんでした。


とりあえず、最低限の状態で開始して、
はてなの本を購入したり、ニフティ主催のブログ教室に行ったり、
知人に聞いたり、はてなのヘルプページを見たりしながら、
やっと少しだけできるようになりました。


こうした、書くための体裁を整えることが実は一番苦手で、
最低限の状態から今も進歩はしていませんが、
一応、毎日書ける環境は整って、なんとか100回続けてこれました。

中断した検索迷子を復活させた★


途中中断したのは、
身元が知れてしまうから、書きすぎてはいけないと忠告されたためです。
一時休止にしていましたが、2010年2月23日に検索迷子を再開しました。


その日、このままでは私の人生は絶対にだめになる、
そう思う致命的な出来事があり、
人としての尊厳を踏みにじられて、心がずたずたになっていました。
その職場を去らなければと帰路に強く決意をしました。


人生を仕切り直して、
何が何でも、お客様の顔が見えるWebサービスに返り咲きたいと、
執念がわきました。


その気持ちのまま、検索迷子を久しぶりに開き、
思いのたけをぶつけました。


書ける場所がある、というだけでも自己満足できたのですが、
驚いたことに、私がアップしてほんの数分後に★がついたのです。


そのときはお礼を書けなかったのですが、
id:ululunさん、ありがとうございます。
あの時、★をつけてくれて検索迷子は号泣してしまいました。


開設からずっと見てくださっていた方が、長期休止していたにも関わらず、
私が再開したと同時に読んでくださり、
ああ、私はここに戻ってきていいんだ、ここが居場所だと思えたのです。


リアルでは傷だらけになっていた心が、
インターネットで癒されていくのを感じました。


私は、ululunさんがくれたようなこういう喜びを、
自分も、Webサービスを通して誰かに渡してあげたいと思いました。


あのとき、何の反応もないまま、ブログを再開しただけだったら、
もしかしたら心は修復できなかったかもしれないです。


★が数分後についた、その嬉しさが、
ああ、待っていてくれた人がいたんだ、
もしかしたら、この先、私の視点がきっと誰かに役立てるかもしれないのかなと、
わずかな光がさしてきました。


絶対に転職するぞ、こんな腐ったミカンのような場所にいると、
自分も狂ってしまう、自分も腐ったミカンに侵食されてどろどろになる、
人生をだめにすると思いました。


ここから脱出して、環境を変えようと★を見ながら決心しました。
そうやって、背中を押してもらえたような気持ちになれたのです。


自分が進むべき道、使命に気づいたのです。
検索迷子を私は救うために、検索迷子を始めたのだと。
一人じゃないよと、迷路から救い出してあげるために、
私は自分の能力を使おうと思いました。

100回にちなんで、百恵さんの名前の意味


山口百恵さんが、自伝の『蒼い時』で、
自分の百恵という名前は、「百、恵まれますように」という受身や願望の意味ではなく、
「百、恵む存在になるという意味でつけられたと思う」と、書いていた記憶があります。


蒼い時 (1980年)

蒼い時 (1980年)


与えられるのを待つ側ではなく、与える側の立場になるよう生きている。
うろ覚えですが、そんな内容だったと思います。
原書がないため、あいまいですが、この考え方はすばらしいと思いました。


検索迷子は百回、ただ書いてきたのではなく、
百回、書かせてもらえるチャンスをもらい、
百回、読み手の方に、何か一つでも発見や役立ちがありますようにとアップしてきました。


検索迷子は、山口百恵さんのような偉大さはありませんが、
百、何かを与えられてきたかなと改めて振り返り、
もっと与えられる存在、恵む存在になっていきたいと思います。


大台に乗ったので、まずは一安心。

次の一回を恵む存在になれるよう、明日からも次の電信柱まで走ります。


検索迷子を始めて、続けてきて本当に良かったです。


本当に、Webサービスに返り咲いて、
近い将来、お客様にお披露目をする新しいサービスに携わり、
夢と希望にあふれています。

今、最高に楽しい仕事とすばらしい仲間に出会えて、
お客様のために何をすべきかと、連日連夜、ディスカッションの嵐にいます。


きっと検索迷子は、百、恵む存在になります。


では、また。