相談相手はインターネット?

こんにちは、検索迷子です。


インターネットが普及して大きく変わったと思う、人の基礎能力に、
自分で調べごとをする力の劇的な向上があります。


特に若い年代の人は、物心ついたときから、
学校にも自宅にもパソコンがある暮らしが当たり前で、
もはや家電や文房具、電子辞書と並ぶ、調べごとの基本ツールの感覚だったようです。


少し前、一回り以上離れた人から、
小学校の卒業文集はインターネットを活用して作成しました、
と聞いたときは本当に驚きました。
大学の卒論やレポートに役立てましたというのはよく聞いていましたが、
もうそこまで、パソコンやインターネットは普通のことなのかと。


自分が働き始めた頃と比べて、圧倒的に違うなと思うのが、
インターネットを使って自分で調べごとができる人が増えたということです。


仕事でわからない用語があったときに、
先輩に聞くとか、メモを必死にとるとか、
社内にある書類を見るとか、マニュアルを自作するとか、
そういった原始的な方法しかなかった自分の新人時代とは大違いです。

何かを覚えよう、調べようと思ったときの入口は、いつも先輩社員でした。


今の若手社員の人たちは、
インターネットを使って調べる力がついたせいか、
実によく、なんでも知っています。
ジャンルも幅広くカバーして、一見すると知らない用語がありません。


特にインターネット企業にいると、業務上必要なことは、
インターネットの場そのものが教育ツールになり、どんどん調べることが可能で、
先輩いらずな面もあります。
先輩に教わるより、インターネットのほうがずっと知識を与えてくれる気さえします。
人に聞かなくても、大半の知識は得られる、自分で調べられる、
一人でなんでもできるような状態です。



でも、自分でインターネットで調べる力がついた反面、
知ったかぶりな人が増えたなと思うことが多くなりました。


また、わからないと素直に言わず、
その場では知っているふりをして、あとでこっそり調べて追いついて、
何事もなかったように最初から知っているふりをする、
そういう、要領のいい人が増えました。


このやり方は、調べないで放置するよりはずっと前向きで、
一概には悪くはないのですが、
ときどき、びっくりするような出来事がおきます。



あるとき、慶弔関連で一般的には好ましくない対応をした人がいました。
どうしてそんなことをしたの?と聞くと、
インターネットで検索したら、そう出てきたからです。
とその人は言いました。


信頼できる有名サイトだったから、そこに書いてある通り、
そのまま行動しました、と。
そして、その人は自分がとった行動が少しも悪いと思っていませんでした。


え?と思いました。


その検索結果はある意味正しいのですが、そのままでは使えないものでした。
職場に応じて、人と事前に調整したり、順番を考えたり、
段取りを考えなければいけないことでした。
書いてある通りに、職場では行動するのが望ましくないことでした。


確かに、万人向けのベーシックな知識ではあるけれど、
今のこの状況にそぐわないほど、大失敗とも言える行動でした。

多くの人を傷つけ、心証を害し、他の人の仕事に迷惑をかけるような事態になりました。
でも、まだその人は、自分の犯したミスに気付いていません。


なぜなら、インターネットで見つけた情報が万能だと思っているからです。
自分が検索した情報が最善だと思っているのです。


これまで、いろんなことをインターネットで解決してもらってきたのでしょう。
生きるうえでインターネットが先生だったのかもしれません。
調べられないことや、失敗したことがなかったのかもしれません。



この若手社員の失敗は、何に近いのだろうと考えてみたのですが、
手紙の書き方やマナーの本を読んだときの感覚に近いと思いました。


手紙の書き方にはいろんな事例に沿った文例が出ています。
でも、なぜか、どの本も自分の状況にうまい具合に合致せず、
結局、自分の置かれた状況や、伝えたい人や説明したい内容によって、
自分の言葉遣いにしたり、
相手を想像しながら手直しが必要になることが多いと思います。


本を参考にしても、かなり大幅に直すしかなく、
結局は一から書いても同じということになり、
あまり本が役に立たなかったという経験はないでしょうか。


インターネットの情報にも、そういう、
カスタマイズが必要な面があるのだと気付いてほしいと思いました。



身近に相談できる人がいても、その人に話をせずに、
先にインターネットで調べてしまうことが習い性になっている。
これは、とても怖いと思いました。


一言相談すれば、いくらでも事例はあげてくれて、
自分の状況を親身にきいてくれて、一番最適な対応を考えてくれて、
場合によっては手伝ってくれるような、そんな相談できる人が、
すぐそばにいることさえも気付かないのです。


インターネットは、人に相談すること以上に問題解決してくれることも、
集合知の良さとしてあるとは思います。
情報量も多く、スピードも速い。


でも、今の私、今のあなたに一番適切なアドバイスをくれるのは、
インターネットだけでできることでしょうか。


特に、同僚がいるリアルな場所にいる人が、
こうした失敗をするのを最近よく見かけます。
在宅勤務ではなく、せっかく一緒に働いているのだから、
聞いたっていいのに、何もはずかしくないのに、そのための同僚なのにと思います。


インターネット企業にいる人たちは、
お互いインターネットの利用スキルを低く見せないためか、
聞くのが恥ずかしいのか、
会話をせずに一人の閉じた世界でパソコンだけを使って済ませたいのか、
聞けるほどの人はいないとみくびっているのか、
理由はひとそれぞれでしょうが、何でも調べすぎます。


隣の人に声をかけることなく、わからない言葉を、
目と目をあわせて聞かずに、目の前で検索したりします。
検索単語を入れる数秒があるなら、答えるのにということまでも。



インターネットが相談相手にならざるを得ない人たちからすると、
インターネットを使いつつ、リアルな相談相手もいるという状況は、
とてもうらやましいことです。


私は、コミュニティサイトを開設する前に、
インターネットの投稿機能を使って寄せてきた、
相談相手のいない、ぶつけようのない思いを大量に読み込みました。
誰にもぶつけられない声、話しかけたり聞いたりすることができない人が、
こんなにもいるのかと衝撃を覚えました。


回収はするけど、答えませんと集めた投稿は、
一方通行でもいいからと聞いてほしい悩み相談が多かったのです。
ただ、文字さえ誰かにぶつけたいのかという痛々しいものもありました。
暗闇に向かって言葉を大量に投げ込まれた気分でした。


ならば、ここで解決させてあげたいと思いました。
相談相手になりたい、相談相手とつながる場にしたいと思いました。
力を尽くしてきましたが、同時に、
インターネットの、体温が伝わらない限界も感じていました。



相談相手がインターネットなのも悪くないでしょう。
それでも、検索結果で調べたことを行動して失敗する前に、
人に聞く、人に相談をしてみることで、
より検索した意味が生まれると思っています。


インターネットにはすばらしい情報がたくさんあります。
そんなインターネットの情報を、よりすばらしいものにしてくれるのは、
最後は人だと思っています。


人とのコミュニケーションをより深みのあるものにするために、
インターネットを利用するのは大賛成です。


人が人と一緒に働いたり生きていく以上、
インターネットだけに相談せず、
最後の微妙な調整は誰かとしてほしいなと思います。


もともと知識がないから、検索をしたなら、
インターネットで調べた検索結果の正しさを判断できないかもしれません。
クリックした情報が間違ってるかもしれません。


インターネットに相談するなら、
自分の得た知識の正しさを確認する人を見つけておく、
そうした賢さは持ちたいなと思います。


インターネットはいつでもそばにいてくれる、便利な相談相手ではありますが、
私のためだけに答えてくれない、八方美人な答えを、
あたりさわりなく、オプション事項も含めず、教えてくれたりするのです。
人とつながるとき、最後のエッセンスを加えて、応用するのは自分の力です。


あなたには、相談相手はいますか?


インターネットで相談して、今何かをしようとしているなら、
その、検索結果で行動しても大丈夫ですか?



では、また。